Technically Impossible

Lets look at the weak link in your statement. Anything "Technically Impossible" basically means we haven't figured out how yet.

デューン 砂の惑星 PART 2 - DUNE: PART 2

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この作品は3部作の中盤に位置づけられている。『機動戦士ガンダムII 哀・戦士編』や『スター・ウォーズ エピソード5/帝国の逆襲』に通じる、続編に期待できる内容だった。それは続きが待ち遠しい、というだけでなく、次も間違いなく面白い、と確信できる意味での期待が膨らむほど、満足感のある映像体験だった。

とにかくIMAXで鑑賞する価値のある作品だった。特に音響だ。身体がビリビリと震えるほど圧力のある重低音は、ただ音響の良さだけでなく、ベネ・ゲセリットのマインド・コントロール的な音響効果をはじめ、サンドワームを呼び出す振動、戦闘シーン、特に緊迫した格闘シーンのプレッシャーなど、作品演出上の重要な要素としても機能している。これを体験すると、光学メディアだけでなく、通常スクリーンの映画館ですら、作品を体験するには物足りなく感じることだろう。

未来を知る者の諦観、諦念

監督のドゥニ・ヴィルヌーヴは、クリストファー・ノーランとの対談にて、次のことに言及している。

  • 原作を尊重している
  • 原作では、ポールはヒーローではない
  • 原作は、救世主的な人物に対する戒めの物語

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主人公のポールは、断片的な未来が見える特殊能力がある。その予見から、自分自身が未来に大きな影響を与えているだけでなく、それに伴う破滅的な結末も認知している。そのため、その未来を回避するような姿勢を見せていた。覚醒により能力は拡大し、過去から未来までを見通せる能力を有したことによって、その姿勢は扇動的なものへと変化していく。

それは、断片的な未来から想定された展開を回避しようとしても、一通りを見通してみれば変えようのないことを思い知った諦観、諦念の結果、あるいは受容なのかもしれない。つまり、何をしたところで結果が変わらない、あらゆる努力が無駄であるならば、諦めて状況に流されるままに行動するか、同じやるなら迷いなく吹っ切れるか、ということだ。

この変化に、監督の言及が反映されているのかもしれない。おそらくポールは後者を選択したのだろう。ただ私には、そこに別の意図、可能性があり得るように感じられた。それは未来を知ること、少なくとも、ある時点までは自分が死ぬこと、殺されることはないことを知った者の強さだ。

未来を知る者=死なないことを知っている者の強さ

どんなにピンチな状況にあったとしても、そこで自分が死ぬことはない、殺されることがないと知っていれば、第三者から見ればピンチであったとしても、本人にはピンチではないはずだ。
ティム・バートンの映画『ビッグ・フィッシュ*1は、自身の死がどのようなものであるかを幼少時に知った男の物語だった。その場で自分が死ぬことはない、殺されないことを知っているがために、どのような場面でも無茶ができる。『ビッグ・フィッシュ』は、ほら吹き男爵的なおとぎ話だが、『DUNE: PART 2』は復習、逆襲の物語だ。主人公の無茶な行いが、預言の成就と相まって、自他ともに認める、何かを超越したような存在に仕立て上げていく。それが信仰者、原理主義者の扇動につながっていくのだ。

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族長会議での発言権を得るには、自ら所属するグループのリーダーでなければならない。リーダーでないのであれば、リーダーに取って代わらなければならない。そこでポールは会議メンバーを挑発し、自らを危険に晒す。結果、族長たちは扇動され、ポールをリーダーとして祭り上げてしまうのだ。
監督の意図した救世主=扇動者としての演出だが、その場で自分が殺されることはないことを知っている者ゆえの確信からの行動のようにも見える。それが端的に表れているのが、フェイド・ラウサとの一騎打ちだ。
一騎打ちに臨む際、自らを危険に晒すことはない、仲間たちがポールを庇うのだが、ポールは意に介さない。そしてやはり一騎打ちに勝利し、皇帝を跪かせ、原理主義者たちは気勢を上げる。
感情を昂らせる終盤は、続編でさらに盛り上がることを期待させるのだが、やはり監督の言及に通じる、戒め的な先行きをも予感させるエンディングで締めくくるのだった。

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