この夏の映画は『Oppenheimer』、あるいは『Barbie』と期待していたのだが、前者は日本での公開日が定まらず、後者は主張のストレートさ、さらにはバーベンンハイマー*1に至り、観賞する意欲をそがれてしまった。
わざわざ大金を投入した大作映画を製作してまで主張したいのであれば、それは資本力に物を言わせたメッセージであり、不自然に増幅されたプロパガンダのような印象を感じる。
映画『Everything Everywhere All at Once』*2を観賞し、自然に聞く耳を持たせるような表現の巧みさを目の当たりにすれば、主張を伴う表現に提供はないが、他にスマートなやり方が思いつかなかったのか、と思うのだ。
劇場に足を運び、代わりに選択したのが『SAND LAND』だった。決め手はIMAX上映だ。結果として、この選択は正解だった。そのほかの作品のような主張はなく、鳥山明の作画がそのまま大画面に映し出され、動き出した世界を、何も考えることなく楽しむことができた。この雰囲気は、80年代の水曜夜7時、あの感覚だった。
アニメを高解像度で上映する意義
過去のアニメーションをAI処理によってFHD~4Kレベルで高精細化すると、手描きの筆致、そのリアルさのようなものが如実に可視化される。制作当時は走査線や映写に伴うボケを考慮して作画していたかもしれないが、リマスターによって原画がそのまま動いているような動画を鑑賞できる。これだけで、オリジナルとは異なる別作品のようになり、高解像度で観るべき価値がある。例えば、安彦良和が作画した作品だ。
いわゆるフルCGアニメ作品の中には、いわゆる粗製乱造的な雰囲気を漂わせる作品が多いと感じている。そのような作品を高解像度で上映したところで、印象の変化を伴うものにはならないだろうし、新しい発見にもつながらないだろう。ただ、この作品は違った。
鳥山明は原作執筆時、ペン入れ原稿をスキャンし、PC上で彩色やトーン仕上げしていたのだという。そのような原画が、CGとしてそのまま取り込まれているわけではないとはいえ、特に戦車と中心人物たちを描くペンのタッチ、背景の彩色など、まさに原画が動き出したような感覚だった。
また題材の作風は異なれども、その表現の印象にプロダクションの特徴が表れているようにも感じた。何か『ニンジャバットマン』に通じる雰囲気を感じたのだ。スタッフロールを見て、その影響が共通のアニメ制作会社である神風動画によるものであることに気づいた。
印象的な風景であったり、背景とキャラクターの一体感を損なわないブレンド、場面作りは言うに及ばず、特に今回はマンガの一コマとして成立している「絵」の構図を損なわずに動画に落とし込んだ仕事は見事だった。
80年代、毎週水曜日、夜7時の感覚
昭和後半の毎週水曜日、夜7時から30分は鳥山明作品の時間だった。特に『Dr.スランプ』は連続ストーリーでもなく、則巻博士の発明メカをモチーフに、ペンギン村での日常を面白おかしく描いていた。キャラクターと表現のコミカルさ、舞台のポップな色彩と明るいトーンは、何も考える必要がなく楽しめる作品だった。
映画『SAND LAND』の原作は、短期集中連載の単発作品だ。おそらく作品に課された制約は少なく、鳥山明の自由度は高かったのではないだろうか。マンガ『Dr.スランプ』のように、同氏の描きたいメカを、気ままに舞台に配置して、安直にストーリーを付け足したような気軽さを感じた。
- 戦車
- 保安官
- モンスター
- コミカルさ
- バトル要素
『Dr.スランプ』を基本に、『ドラゴンボール』一歩手前の緊張感を加えたような雰囲気は、80年代の水曜夜7時の雰囲気を劇場に持ち込んだような、心地よい懐かしさが呼び戻された。