Technically Impossible

Lets look at the weak link in your statement. Anything "Technically Impossible" basically means we haven't figured out how yet.

インディ・ジョーンズ クリスタル・スカルの王国

インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国 (字幕版)

以前のブログ、2008年の投稿に加筆、編集したものです。

禅三部作から約20年ぶりの新作と知った時の印象は、無理に新作を作って汚点を残すようなことにならなければよいが、ということだった。インディ・ジョーンズ・シリーズは当初、5部作だったものの、三作目のエンディングが上出来だったために三部作とした、という話を聞いたことがあるからだった。

この印象の4割ほどは的中した。楽しめたのは事実だが、この題材、ストーリーのためにあえて「インディ・ジョーンズ」という存在を登場させる必要はあったのか、ということだ。例えるならば、魅力の弱い食材を売らんがために、あえてカレーのような一般受けする料理に仕立てた、といった具合に感じたのだ。

そして『インディ・ジョーンズと運命のダイヤル』*1を観た今、その印象に若干の変化がもたらされた。

これまでの作品と言えば、聖書由来の遺物が絡んだ冒険物語だった。オカルティズムに傾倒するナチス・ドイツと争奪戦を繰り広げる。そのようなマニアック要素を、コミック『ヘルボーイ*2のように、巧みに一般受けする冒険譚に仕立て上げたシリーズだった。

今作の時代背景は戦後であり、ちょうど1940~50年代頃、ロズウェル事件*3があり、テスト・ビレッジで核実験が行われていた時代だ。そのためナチスドイツの代わりを、ソビエト連邦が担う。後述する水晶のドクロと古代の叡智をめぐって、旧ソ連と争奪戦を繰り広げる、これまでのシリーズ同様、物語の構成は従来通りだ。

一方、遺跡に仕掛けられたトラップから古代の謎まで、自力で解き明かすのが従来のインディ・ジョーンズだった。今回は、その謎に挑戦した先人の後追いをするという都合、従来、古代の謎に相当するものが、先人の残した情報に取って代わり、謎かけも、その先人が用意したものとなる。これまでと背景と前提の趣向が異なっている。

そして思うのが、このために「インディ・ジョーンズ」を起用しなければならなかったのか、ということだ。そもそものモチーフがオカルトだ。一般受けするアピールが弱いので「インディ・ジョーンズ」ブランドで印象を強化した。例えるならば、魅力の少ない具材を売らんがために、あえてカレーのような一般受けする料理に仕立てた、という具合だ。
この題材、ストーリーなら、ジョーンズ博士の代わりに、ヘルボーイやララ・クラフト*4でも代わりを務めることができただろう、と思うのだ。

さらにクリスタル・スカルとして取り上げられている水晶ドクロにもケチがついてしまった。これは世界不思議大百科的な読み物に掲載される常連のオーパーツだ。最近、このようなことが判明した。

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最後まで観客を飽きさせずに引っ張り切るところは正統派の冒険活劇なのだが、「インディ・ジョーンズ」という存在、ブランドを持ち出してしまったばかりに、観客に要らぬ期待を膨らませてしまった。結果、期待のマネジメントに失敗してしまった。

そのように思っていたのだが、最新作である『インディ・ジョーンズと運命のダイヤル』を観た今、少しだけ印象が変化した。作品そのものについての印象に変わりはないのだが、問題はシリーズにおける位置づけだ。冒険譚よりも相対的に印象が弱まっているのだが、それは家族との関係と人生観を語るものだ。

注意しておきたいのは、作品の順番と時系列が異なっていることだ。

時系列 作品の順番 家族
人生観
1935 2 インディ・ジョーンズ 魔宮の伝説 名声の獲得
1936 1 レイダース 失われたアーク 個としての活躍
1938 3 インディ・ジョーンズ 最後の聖戦 父親と息子
1957 4 インディ・ジョーンズ クリスタル・スカルの王国 家族
1969 5 インディ・ジョーンズと運命のダイヤル 晩年を迎える
人生の幕引き

個々の作品そのものの印象は置いて、シリーズを通じてジョーンズ博士の人となりを語るのだとすれば、家族と人生に目を向けたとき、ジョーンズ博士を登場させなければならない必然性とは、こういうことだったのか、という思いに至るのだった。

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