これは2008年に投稿したエントリーで、以前のブログから引き継いだものに加筆したものです。
いろいろな情報に触れ、インプットとアウトプットを繰り返していると、中にはそのサイクルが非常に効率よく作用している分野があることに気づくことがある。例えば、学校の科目などはその典型例だろう。何も勉強していないのに、なぜか理科が得意、社会が得意、といった具合だ。社会生活に目を向ければ、いわゆるオタク活動も、そのようなことに通じているのかもしれない。
得意分野だから、あるいは「好きこそ物の上手」だから学習効率が良いのは、感覚的に理解できそうでいて、実際には学習の仕組みについての本質に何も触れていない。好きだからこそ、無意識のうちに学習機会に通じる場面に多く遭遇しているのかもしれないが、「下手の横好き」というように、そこから有益な何かを学んでいるとは限らない。
書籍『間違いだらけの学習論』*1を読んだことをきっかけに、学習の仕組みのようなことに意識が向く機会が増えた。究極的には、それは脳の仕組みに通じている。この投稿で紹介する2冊は、その仕組みを理解する手掛かりとなる書籍だ。
論理的推測
まず紹介する書籍を読む前に、注意が必要なことがある。脳という、まだわからないことの多い領域において、大別して立場の異なる2つの領域の人たちが、その解明に取り組んでいる。その立場とは、
人工知能は実現できる派 | 脳の謎が解明できないのは、自分たちが無知なだけ。 |
人工知能は実現できない派 | 脳の謎を解明するなんて無理。 人工知能なんて実現できない。 |
ここで言う人工知能とは、昨今の生成AIのことではなく、脳そのものを人工的に作り出す、あるいはその機能を人工的に再現するような事柄を指している。そして、この投稿で紹介する書籍は、後者の立場の人たちが執筆している。
そのため文章表現には、その立場上の見解、姿勢が顕著に表れている。具体的には、ほとんどの事柄を論理的推測にとどめている。例えば、「脳はこのような仕組みだから、このような現象が生じる」という断定的な表現ではなく、「このような現象が生じるのは、脳がこのような仕組みで処理しているに違いない」といった具合だ。
本書の内容は、その論理的推測を読者にも追体験させるべく、
その説明過程を
- やってみよう
- なぜだろう
- ちなみに
という体験を伴う実験、論理的考察、論考を補う参考資料や事例紹介で構成されている。
Mind Hacks
書籍『Mind Hacks』の「Hacks」には、新しく登場したプログラミング言語やフレームワークのような、未知、未体験の事柄を体当たりで解明していく姿勢が反映されている。決してライフハックや、「○○をハック」する的な、何かを効率よく使いこなす、という意味合いではない。いまだ十分に解明されていない脳を、経験をもとに何とか考察してみるのだ。
1章 脳の構造
2章 視覚
3章 注意
4章 聴覚と言語
5章 感覚同士の関係
6章 運動
7章 推論
8章 構造を知る
9章 記憶
10章 他者との関係
紹介される実験を通じて、読者自らが不思議を実体験し、その不思議を抱えたまま、論考を読むことになる。その過程を通じてたどり着くのは、「このような現象が生じるのは、脳がこのような仕組みで処理しているに違いない」という納得を伴う結論だ。
ただ知的好奇心を満たすだけでなく、頭の中のモヤモヤを取り払うような、謎を解消する爽快感がある。
Mind パフォーマンス Hacks
『Mind Hacks』が脳の根本的な仕組みに関する推論とするならば、『MIND パフォーマンス HACKS』は、その仕組みの応用、特に物事に効率的に対処するためのノウハウだ。1章 記憶
2章 情報の処理
3章 想像力
4章 数学
5章 意志決定
6章 コミュニケーション
7章 明晰さ
8章 知性の健康
副題のとおり、脳と心のトリセツ的な内容を意識している。
- 記憶術
- 心の慣性力
- 視覚情報の処理能力は、テレビゲームによって訓練できる
- 睡眠、栄養、運動
- 脳の「オーバークロック」
などなど、紛れもなくパフォーマンス向上のための「ハック」だ。しかし、一部には脳や心とは何の関係もない、逸脱したTipsも含まれている。100万までを指だけで数えることは「ハック」的な何かではあるかもしれないが、脳や心と何の関係があるだろう。
『Mind Hacks』の読書体験が良好だっただけに、『MIND パフォーマンス HACKS』の内容、構成は相対的に稚拙に感じてしまうのが残念だった。