Technically Impossible

Lets look at the weak link in your statement. Anything "Technically Impossible" basically means we haven't figured out how yet.

ラーメン屋vs.マクドナルド

ラーメン屋 vs. マクドナルド―エコノミストが読み解く日米の深層―(新潮新書)
これは2009年に、旧ブログへ投稿したものです。加筆、修正の上、こちらへ移行しました。

まずタイトルが非常にキャッチで、印象的に感じた書籍だ。その特徴故に、タイトルの印象に期待が引きずられ、実際の内容との齟齬を生じかねないリスクがある。副題に「エコノミストが読み解く日米の深層」とあるように、この本の主題は日米比較論だ。
比較のモチーフとなる

  • 文化
  • 政治
  • 経済
  • 宗教

それぞれの題材として、アニメ、映画、首脳の所信演説、そしてタイトルに採用されている代表的なファーストフードなど、比較的ポップな題材を採用している。

一見、軽薄な話題に繋がりそうな題材ではあるのだが、筆者のアメリカ赴任経験、各種統計データを織り交ぜ、非常に親しみやすい比較論に仕上がっている。

第1章 マックに頼るアメリカ人vs.ラーメンを究める日本人
第2章 希望を語る大統領vs.危機を語る総理大臣
第3章 ディベートするアメリカ人vs.ブログする日本人
第4章 ビル・ゲイツ」vs.「小金持ち父さん」
第5章 一神教vs.アニミズム
第6章 消費者の選別vs.公平な不平等

日米の代表的な題材の対決に見立ててた比較論だ。題材が明確なので、比較の構図が非常に分かりやすい。
アメリカが、あるいは日本が優れている、といった単純な比較ではない。通俗的な解釈、虚構を受け入れるのではなく、データと実例を重視し、各事例を照らし合わせながら、その背景、特徴を理解し、長所、短所を浮かび上がらせる。
そのような構成から、ステレオタイプな比較ではなく、比較対象が示唆する問題の本質、それが生まれ得る背景への理解を導くことで、話題自体の本質への理解を促す。それらの比較を通じて、筆者は次のことを意図、主張している。

  • 日米比較と通じて、経済、文化、政治、宗教の諸問題を読み解く。
  • 日米経済、文化モデル比較を通じて、日本人の「軸足」を考える。

個人的に興味深かったのが、第3章「文字文化の日本、対面文化のアメリカ」だ。
ミーティングや講演にて、質問を促されても日本人は静まり返って、何も反応しないという、必ずしもステレオタイプとは言えないほどに典型的な場面だ。結果として、日本人は閉鎖的で、オープンな討議に価値を見出さず、個人の意見も持たない、などと指摘されてしまう。一方、積極的に質問するのがアメリカだ。この日米の相違、あるいは偏見の根拠を探求している。そして筆者は、日米の文字体系の相違に、その根拠を見出す。

文字体系 学習
日本 複雑 手間がかかる
アメリ 単純 手間がかからない

アメリカは、手間がかからない分の時間を、プレゼン能力の訓練に費やすことができる。一方、日本ではその時間を「書く」訓練に費やしている。その結果が、プレゼンテーション能力の格差に繋がっている、加えて、この違いから、日本は文字文化となり、文章論述を重視する。学校のカリキュラム構成から外国語教育まで、その価値観を反映することになる、という理屈だ。

英語ユーザーは日本語ユーザーの数倍でありながらも、ブログの世界では、日本語は英語を上回るシェアを得ている。Twitterのアクティブ・ユーザー数は、米国よりも日本の方が多いと言われている。
web.archive.org
対面では静粛な日本人が、ネットでは一転して活発に書き込みしている事情にも通じているのではないか、という論旨には思わず納得してしまった。

海外在住日本人が、海外から日本のことをあれこれと批判、否定的な物言いを展開することがネットで散見される。自分は安全地帯にいて、一方的に論を展開する、なぜか妙に滞在国に肩入れしているような人達だ。
そのような人たちとは異なる筆者の姿勢は、ステレオタイプなこと抜きに、極端に一報を賛美するのでもない、理屈だけではなく、理解を求める姿勢から、非常に良心的な比較論という印象を抱いた。