Technically Impossible

Lets look at the weak link in your statement. Anything "Technically Impossible" basically means we haven't figured out how yet.

神様はつらい(『世界SF全集24』より) あるいは映画『神々のたそがれ』

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『神様はつらい』は旧ソ連のSF作家、ストルガツキー兄弟による、1964年の作品だ。1970年に出版された『世界SF全集24』に収録されている。2013年に『神々のたそがれ』として映画化され、2015年に日本でも公開された。

SF小説を含む、娯楽小説の中に異世界転生と呼ばれるジャンルがある。現代の主人公が、文明的に劣った世界(それは中世をイメージしたファンタジー世界が主であるようだ)で活躍する。あるいはタイム・トラベルものでも、それに通じる作品がある。
それらの作品では、主人公が持ち込んだ知識、技術、道具を用いて、舞台世界で活躍する。舞台世界は、現代に比して文明的に遅れた世界なので、主人公は相対的に強者となる、場合によっては事実上、神の如き存在となる。

その場にはあり得ない力を駆使して活躍するということは、その世界への干渉ともみなせる。神の如き存在ともなれば、その干渉は最低限、むしろ干渉すべきではない。それは異世界が本来歩むべき進歩への干渉になり得るからだ。『神様はつらい』の主題がこれだ。主人公は「神様」として苦悩することになる。

『神様はつらい』の舞台は地球以外の、どこかの惑星だ。その世界は地球で言うところの中世頃にまで発展している。何人かの地球人が「観察」のため、その惑星で生活している。ある頃から、この中世世界で文化的な退行が始まる。封建制ファシズムによる文化弾圧、知識人弾圧だ。主人公は、この文化弾圧により迫害されている文化人、救うに足ると判断した活動家の救助に奔走する。

これがいわゆるライト・ノベルのような娯楽作品であれば、主人公の活躍は痛快に描かれるのだろうが、そうならないのがこの作品だ。これが、その観察、救助活動に伴う葛藤が題名にある「つらい」に繋がる。
同作の原題は「Hard to be a God」だ。「a God」とあるように神様同然の存在を指している。神様は全知であり、神様同然である主人公は全知も同然だ。自らの行いがもたらす将来的な影響を理解している。同時に、目前の事象に対して、その影響力を行使しないことによる、倫理的、心理的な葛藤を避けることができない。

主人公は影響力を行使することによって、弾圧による犠牲者を救うことはできるだろう。しかし影響力の行使は、歴史的な社会発展の干渉となるだけでなく、その影響力に対する依存が生じることによって、自力の社会、歴史的発展の妨げにもなる。発展は自らの力によって成し遂げなければならない。

これが端的に顕れているのが主人公と、救済された知識人、活動家との対話だ。主人公は知識人に、神への助言を問う。素晴らしい世界を実現するため、神は何をしたらよいのか?

  • 十分な衣食住を与えても、強者が弱者から取り上げる。
  • 強者を消しても、弱者から新たな強者が生まれる。ならばみんな消さなければならない。
  • 取り上げるに足りないくらい十分な衣食住を与え続ければよい。
  • 永久に与え続けなければならない、それでは人間の価値がない。
  • 精神的変革を。それは人類を、別の人類に作り変えるのと同じだ。

結局その対話は、知識人の次の一言で締めくくられる。

神様、私たちを地上から一掃してしまって、あらためて、もっと完全な人々をおつくりください。
でなければ、いっそ、私たちをこのままに放っておいて、私たちに自分の道を歩ませてください。

要は、最初から問題ないもの(完全なもの)を作ってリリースしろ、失敗作ならば放っておけ、ということだ。気の毒にも、主人公は「a God」であって、創造主ではない。そして放ってはおけないのだ。

活動家は、主人公に武器と活動資金を要求する。武器と言っても、それは言うなれば神のいかずちだ。主人公は資金を提供するのだが、武器は渡さない。いかに正しく、活動家が武器を使用したとしても、彼の死後、武器が適切に継承、使用されるとは限らない。
仮に活動家が現体制を覆せたとしても、それは繰り返される。土地を得て、それを分け与えても、新たな地主は新たな農奴を求めるだろう。そして新しい活動家が生まれる。この対話は、活動家の次の一言で締めくくられる。

あなたは私の意志の力を弱めてしまいました。以前の私にとって頼りになるものは自分自身だけでした。ところが今はあなたのおかげで、自分の背後にいつもあなたの力を感じています。
~中略~
もとの空に戻って、もう二度と来ないでください。

主人公は全知同然だが、知識もモラルも通用しない世界にいる。それらを知っているからこそ、黙って見ている他ないのだが、それは無力さにも通じている。主人公は活動家を憐れみながらも、影響力を持ちながら行使できない自身の無力さから、活動家に対しての立場も相対的に屈辱的になってしまう。

かように神様のような存在でいることは「つらい」のだが、同様なことは上下関係の上にいる立場にも当てはまるだろう。神様のような存在「a God」のような圧倒的上位から遥下方に存在する上下関係では、モラルも知識も共有されているだろう。しかし相対的に上に位置する者が有する、下に位置する者が理解しえない何かによって、「つらい」何かが生み出されるのだろう。
実際のところ、それは立場の上下とは限らない。分断を生み出す差異の間に存在する何かも、同様な「つらい」を生み出しているように感じる。

それぞれに特有の知識、モラルがあり、それらが通じない集団が存在し、共存し続けなければならないならば、「a God」ならずとも、人間でさえつらい、のだ。
知識人のごとく、「神様、私たちを地上から一掃してしまって、あらためて、もっと完全な人々をおつくりください」とぼやきたくもなる。

余談

『世界SF全集』は古本が二束三文で入手できるのだが、24巻だけは些か高額だ。図書館で借りるのが良いだろう。『神様はつらい』を単体で入手するには、洋書以外の選択肢がない。

映画『神々のたそがれ』は、いわゆる「映画通」にとっては何かを得られる作品なのかもしれないが、一般的な観客にとって約3時間の上映時間は、退屈どころか、ある種の苦痛にもつながる作品だと想像する。とにかく、あまり気分の良くなる作品ではないだろう。お勧めはしない。
ただディテールと描写が素晴らしい。中世版ライブ映像ような仕掛けなのだ。出演者(いわゆるモブ)が平気でカメラを遮るなど、その場で起きていることをありのままに記録するような、演出の不在を感じる仕掛けがある。この面白さは、ある特定の場面で発揮される。
『神様はつらい』の観察者は、冠に装着されたカメラを通じて、常時映像を地球へ送信している設定だ。地球にいる歴史学者社会学者がそれを通じて観察している、というわけだ。映画は、この歴史学者社会学者の視点からの撮影を意識しているように感じる。
興味のある人は、YouTubeを次のキーワードで検索するとよいだろう。

  • hard t be a god
  • 神々のたそがれ


Hard to be a God - Official Trailer