Technically Impossible

Lets look at the weak link in your statement. Anything "Technically Impossible" basically means we haven't figured out how yet.

まぐれ―投資家はなぜ、運を実力と勘違いするのか

まぐれ―投資家はなぜ、運を実力と勘違いするのか
これは2008年に投稿したエントリーで、以前のブログから引き継いだものに加筆したものです。

投資関連の書籍で紹介される成功例、その典型として挙げられるのが、著者自身の体験談のように一般化できない事例だ。市況は常に変化しており、紹介される方法を実践したとしても、それが必ずしも定石のように機能するわけではない。従って、その方法の良し悪しを判断するのも難しい。


そのような事例とは一線を画す事柄を本書は紹介する。副題「投資家はなぜ、運を実力と勘違いするのか」の原題は、「Fooled by Randomness」だ。確率論に基づいて、戦略的に運用しようとしても難しいことがある。理性と感情の対立だ。それにまつわる事柄について、著者の論考をまとめている。

  • 実生活
  • 計画
  • 戦略業務

などなど、その考え方は投資以外での決断場面にも適用可能な、示唆に富む内容だ。




例えば、宝くじを買って大当たりしたとしよう。一夜にして大金持ちなのだから、そのイベントだけを捉えれば人生の成功者と言えるのかもしれない。しかし、その大当たりを期待しながら宝くじを買い続ける人生にまで想像を広げるならどうだろう。モンテカルロ法のように、その人生を何百回、何千回とシミュレーションすれば、その大当たりに遭遇する人生は何回あるだろうか。千載一遇の機会を捉えることのできた人生、それ以外の人生の生涯資産額には、大きな差が生じていることだろう。

たまたまその機会を捉えたのは運であり、当人の実力によるものではない。ここでは宝くじを例としているが、同じ考え方が投資にも適用できる。大成功しても、それは運であって実力ではない、というのが背景にある前提だ。
そのような、結果に大きな幅のある戦略より、どのような場面であれ、ほぼ一定の結果を期待できる戦略を実行する方が、賢く効率的ではないだろうか、というのが本書の主旨だ。この話題について、さまざまな側面から語られる。

資産運用、株式投資的な題材を扱いながらも、本書の本質は、いかに戦略や計画に従った決断、行動をすることが難しいのか、ということだ。

第1章:そんなに金持ちなら頭が悪いのはどうしてだ?
第2章:奇妙な会計方法
第3章:歴史を数学的に考える
第4章:たまたま、ナンセンス、理系のインテリ
第5章:不適者生存の法則
第6章:歪みと非対称性
第7章:帰納の問題
第8章:あるいはとなりの億万長者でいっぱいの世界
第9章:卵を焼くより売り買いする方が簡単
第10章:敗者総取りの法則
第11章:偶然と脳
第12章:ギャンブラーのゲンかつぎと箱の中のハト
第13章:カルネアデス、ローマへきたる
第14章:バッカスアントニウスを見捨てる

偶然性、確率と戦略、計画と実行、理性と情緒、これらの概念は投資だけでなく、人生においても適用可能であり、不可避の要素でもある。

問題は、理性と感情の対立だ。そのような戦略を実行しようと意識していながら、決断の場面になると実行が難しいのだ。たとえ脳内の感情を司る部位を取り去ったとしても、理性に従うことができない。その部位を取り去ってしまうと、人間は決断ができなくなってしまうのだ。つまり理性的な判断に基づく決断とは、なぜか情緒的な要素が必要とされるのだ。

役者のあとがきで明かされるオチもおもしろい。確率論に基づいた、変動の少ないポートフォリオ戦略を、筆者は投資戦略として採用している。だから、大きな一発を当てようとする投資家、確率論が信じられない、理解できない投資家をこき下ろす。
そのような人たちは、当たっている時は機嫌も良く、気前も良いのだが、そうではないときには態度が一変する。そのような確率や運、ランダム性に翻弄される人たちこそが、「Fooled by Randomness」なのだ。
そして本書を深く読み進めた読者ほど実感できる、「まさか!?」のオチが、実は筆者もその一人である、ということなのだ。