Technically Impossible

Lets look at the weak link in your statement. Anything "Technically Impossible" basically means we haven't figured out how yet.

養生の実技

養生の実技―つよいカラダでなく (角川oneテーマ21)
嫌煙であったり、ジム通いで保険料が割引されたり、巷の話題や事象に健康が反映されることが多くなってきた。それは健康意識が高まった帰結というよりも、テレビが体に良いと言えば、ココアや納豆が店頭からなくなるような、異様な側面もある。

ここでいう「養生」とは、そのような「健康」の話題とは一線を画している。
人間は生まれたときから日々、老いていき、死に向かっている。そのような思想から、少しでも良好なコンディションを維持し、故障を起こさないようする。そして、それを死ぬまで続ける。
それが本書でいうところの「養生」である。決して「健康」を維持するためのものではない。

著者自身の体験と思想に加え、実際に試した結果に基づいて、それがすべてであると断定している。言うなれば、その技法とは五木寛之自身にとってのものであり、決して万人向けに一般化できるものではない。そこに本書がもつ独特のユーモアと痛快さがある。

東洋医学浪曲の呼吸法から、体の調子から因果関係を考察した独自解釈まで、それらに基づいた実践方法と、そのレポートだ。世間一般でいう健康法がどうであろうが、それが全てだ、と断定する。
いくら自然で理想的なライフ・スタイルを唱えたところで、人間は一人ひとりが違うものであるとし、自分の身体が発するシグナルを捉え、その身体が発する声だけを信じ、自分で決めた方法に基づいて、自分自身の責任において生活をコントロールする、という考えなのだ。

そのようなわけだから、次のように痛快な話題もレポートには含まれている。

  • 好きな時間に寝て、好きな時簡に起きる。
  • 面倒なことはしない。
  • バランスというものに縁の無い食生活。
  • 「いい加減」は「良い加減」。全てに関して、「いい加減」にとどめる。
  • タバコは無理に止めない。

日頃推奨されることのない、「良くない」、「止めろ」と言われてもおかしくない事柄について、ことごとく否定の態度だ。とにかく徹底して自分本位なのである。私はここにユーモアと痛快さを感じた。
理路整然とそれらを論破し、何がおかしいからやらない、ということではない。単純に五木寛之自身に合っていない、あるいは何事も良い面、悪い面があり、自己責任で悪い面を受け入れると同時に、良い面も採用する、という具合だ。
あくまでも読者にも受け入れられるような養生法ではなく、五木寛之自身にとっての養生法なのである。

だから、この本を読んだからと言って、何か特別な養生法が見つかるわけではない。本書の主旨であり、メッセージは

  • 自分自身の身体からのメッセージを読み取り、
  • その身体の為に、無理のない継続できる方法を見つけ、
  • 自分自身の責任において、それを死ぬまで続けろ。

ということなのだから。

本書の最後に「私自身の体験と偏見による養生の実技100」が紹介されている。一般的に言われていることもあれば、養生なのか分からないもの、ただのユーモアとしか思えないこと、様々だ。

左右どちらかの歯に偏らずに噛む。

足の指の一本、一本にも個性がある。ときどき、じっと眺めてみること。

コーヒーは、まず、匂いを楽しむ。その後ブラックで一滴を舌の上で味わい、つぎに砂糖を入れて一口だけ飲むにとどめる。こうすれば一日に十回コーヒーを飲んでも平気。

最新のテクノロジーで確認されるような「気」は、すでに「気」ではない。

健康法は目の色を変えてやらない。「趣味は養生です」というくらいがよい。

健康の対象範囲を身体のみならず、精神や気分にまでも延長するならば、この程度のユーモア、いい加減さ、日常の癖や嗜好を受け入れる寛容さ、鷹揚さも大切な要素だろう。
そのような情報を気難しく受け取らず、寛大に受け入れられる状態であることが、快活である証であるとすれば、人それぞれの気風を維持するための嗜好や考えも、人それぞれの養生実技と呼べるのだろう。