4月4日のTwitterで、3月29日に山本弘が亡くなっていたことを知った*1。読んだ作品はそれほど多くはない。テーマには関心をそそられながらも、そもそも美少女アイドル的なキャラクターの指向が強く感じられ、敬遠していたのだ。ただ格別に印象的だった作品の一つが『神は沈黙せず』だった。
SFを問わず、小説の中には、続きが気になって仕方がない、読むのが止められない作品に、稀に巡り合うことがある。私にとっては、そのような一冊だった。理由は、幼少から慣れ親しみ、楽しんでいるオカルト的な話題、超常現象を題材としていることだ。UFO、心霊をはじめとする世界七不思議的な数々の超常現象を共通解で説明しようとする試み、その解とはシミュレーション仮説であり、「神」というのだから、その真意を一刻も早く知りたい気持ちを抑えられず、ページをめくり続けることになるのだった。
神の沈黙、と聞いて真っ先に思い浮かぶのは、遠藤周作の『沈黙』だろう。キリシタン弾圧の殉教者達の祈りに対して沈黙する、遠藤周作の「神」に対して、山本弘の「神」は沈黙しない。何かを伝えようとはしているのだが、それでコミュニケーションが成立するとは限らない。実に雄弁でありながら、その意図や目的、何を伝えようとしているのか、全く分からないのだ。
面白いのは、「神」=シミュレーション世界の創造者だからと言って、シミュレーション世界の住人が作り出した言葉を理解できるとは限らないことだ。実際、私たちの現実でもこのようなことが起こっている。
設定されたゴールに向かってあらゆるものを最適化する(=この場合は言語を変更する)ことは当たり前のこと。こうした会話実験で言語が変化することは、よくあることだ
彼らが交わしている会話が理解できず、それを研究に活用できないものだと判断した
考えてみれば「神」に限らず、概念の異なる存在とコミュニケーションしようと思えば、どちらか一方が、もう一方の表現を理解してアプローチするか、お互いが読み解き合いながら理解するしかない。コミュニケーションではないが、『星を継ぐもの』では解読した。つまり前者だ。『あなたの人生の物語』では、後者のアプローチが通用した。しかし、これは言葉あってのことだ。『ソラリスの陽のもとに』のようになると、もう訳が分からない。『神は沈黙せず』では、この訳の分からなさが超常現象であり、「神」の言葉なのだ。この発想は、私には鮮烈で、新鮮で、そしておもしろかった。
超常現象を通じて、何かを伝えようとしているのかもしれない。あるいは、それによる反応を観察しているのかもしれない。その意図はどうあれ、どうやらシミュレーション世界の人間社会を、エージェント的な存在を通じて「理解」しようとしているのは、物語の流れから伝わる。ただし、これは作中の「神」とシミュレーション世界の人間たちとの関係の問題だ。それらを生み出した「神」=山本弘はどう考えているのだろう。それは本書には収録されていない、「まぼろしのあとがき」*2にて言及されている。
世界の法則=創作上のルール通りに「神」=山本弘の構想通りだったのだが、
ところが、そのシーンの終わりで、いきなり良輔がこんなことを言った。
「それがお前の信仰か?」
誓って言うが、これは僕が考えた台詞ではない。良輔のアドリブだ。
山本弘の「神」も、やはり雄弁なのだ。しかし依代はもういない。
*1: 【訃報】
twitter.com
去る3月29日午前10時12分 山本弘は誤嚥性肺炎のため永眠いたしました
葬儀につきましては近親者のみで執り行いました
生前中のご厚誼に深く感謝申し上げると共に 謹んでお知らせいたします pic.twitter.com/ZIY5YLI00T