正体
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RSS feedを登録していたブログの一つが、閉鎖を宣言してしまった。Twitterアカウントが、いわゆる「身バレ」してしまい、それに結びついていたブログを継続するモチベーションが保てないのだという。
読者であるかに関わらず、このような事情で閉鎖に至ってしまうのは、とても残念なことだ。
物語の世界では、事情により正体を隠している人物が登場することがある。典型的なのは変身ヒーローものだろう。あるいは『名探偵コナン』や『サトラレ」のような変わり種もあれば、『機動戦士Zガンダム』に登場するクワトロ大尉のように、あからさまに正体が明かされているものもある。いずれにしても典型的なお約束の展開は、
- 気付いても黙っておく
- 気づかないふり
- 疎遠になる、阻害される
例外的なのは3だ。『サイボーグ009』や『新造人間キャシャーン』のように、正体を隠している人物が異質な存在であり、受容する寛容さのような、それ以外の存在との関係性を描く場合に用いられる展開だ。基本的には1、2の展開が粋や美学に基づいた既定路線であるべきと、私は考えている。
似たような事例は、物語の世界だけに適用されるものではない。現実世界での典型例は、サンタクロースだろう。黙って枕元に、あるいは靴下にプレゼントを届けてくれるのは両親だ。子どもたちはいずれ、その正体に気付くのだろうが、ここで直接確認するか、しないかを分ける要因は、次のいずれか、あるいは両方だろう。多くの子どもたちにとっては、後者ではないかと想像するところだ。
- 前述の粋、美学に通じる何か
- 損得勘定→来年からプレゼントをもらえなくなるかもしれない
残念なのは、特にブログやTwitterの場合には、どちらも機能しない可能性が高いことだ。
粋や美学に通じる何かを、特定者が備えていたとすれば、そもそも正体を特定しよう、などという行為には至らない。何かの事情で、たまたま正体に気付いたとしても、それを明かそうとは思わないだろう。
その何かの事情でない限り、その者は意図して正体を特定しようとしたのだから、そもそも粋や美学に通じる何かを備えてはいないのだ。
投稿者の正体を明かしたところで、特定者が必ずしもブログやTwitterの読者であるとは限らない。正体が明かされたことによって、ブログやTwitterが閉鎖に至ったとしても、特定者が損得を被ることもない。
直接的に迷惑を被るのは正体を暴かれた投稿者であり、それ以降の投稿を参照することができないという被害を、読者たちも間接的に被ることになる。
粋や美学に通じる何か、せめて「気づいても黙っておく」、「気付かないふり」程度のことは、お約束、あるいは作法として心得て欲しいものだ。