ひふみワールド | 3.26% | 123.24 |
ひふみ投信 | 2.38% | 111.12 |
TOPIX | 2.31% | 115.85 |
日経平均 | 2.06% | 110.22 |
さわかみ | 1.81% | 113.69 |
ポートフォリオ | 1.57% | 108.78 |
ひふみらいと | 0.00% | 102.04 |
一見、日本市場の方が強いと思ったら、海外市場の方が強かった、という結果に見えるのだが、実際には「ひふみワールド」構成銘柄、その運用者の選択眼によるものだろう。他の指数を抑えて、ダントツで上昇した。
「さわかみ」は、9月9日からTOPIXに劣る日が続くようになった。徐々にパフォーマンスの差が開きつつある。
ポートフォリオは、一部の構成銘柄に上昇の弱い銘柄があった。一番のポイントはREITだ。構成銘柄中、唯一下落しているのがここだ。トレンドの変化に伴い、資産が交換されるとしたら、売られる側の典型がREITだろう。指数が天井圏と見られれば、上値余地期待の小ささから、利益確定と同時に、新たな資産に再投資するには格好の資金源だ。
新生銀行TOB
impsbl.hatenablog.jp
株価はジリ下がりで、1880円前後の攻防に終始している。続報では、
- 条件付にTOB期間延長→11月24日まで
- 重要性の低い追加質問等は行わず、いたずらに検討の期間を延ばさないこと
- 「企業価値および会社の利益ひいては株主の共同の利益を著しく毀損する」と判断される具体的な根拠を説明すること
- 株主意思確認総会を開催するとしても、実務上可能な限り最短のタイミングで開催すること
- 株主意思確認総会を開催するとしても、公正な形で開催すること
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210924/k10013274241000.htmlwww3.nhk.or.jp
www.sbigroup.co.jp
Surface Duo 2
impsbl.hatenablog.jp
日本で発売されるとはいえ、価格が
端末の形状が異なるだけでなく、その特性も特殊であるとなれば、注目はされても、実際に購入しようと考えるユーザーは、市場全体で見れば、ほぼ皆無と言っても過言ではない程、限定的に見える。
Microsoftは2画面を活用したマルチタスクによる生産性向上を意識しているようだ。一方、日本におけるユーザー事例では、「生産性」などというビジネス寄りの効率ではなく、**しながら、〇〇する、といった娯楽面での効率が有難がられていることに、Microsoftは気付いているだろうか。**や、〇〇にはTwitterやゲーム、YouTubeなどが当てはまる。要は、何かを観たり、遊んだりしながら情報発信するのに都合が良い、ということだ。
このようなユーザーの中には、無為に万円単位の大金を注ぎ込む人達も存在するのだろうが、ほとんどのユーザーは新たな投げ売りを待ち構えていると思うのだ。Microsoftは何に対して商機を見出しているのだろうか。
クソゲー
最近、「親ガチャ」という言葉に代表されるような嘆きと、それに対する、
- 社会や時代のせいにせず、自分で道を切り拓け
- そもそも社会は不条理だ
という反論のような応酬が散見される。このような社会状況に通じる話題として印象的だったのが、次の投稿だった。
twitter.com10年前に誰かが2chに書いた言葉。
— むーとー (@Mootod) September 23, 2021
ビックリするくらい的確だった。 pic.twitter.com/5E0pb7Y7zx
さらに、この話題に関連しそうに感じたのが次のブログ投稿だった。PSP版『タクティクスオウガ』のレベルが、個人ではなく集団に関連付けられていることを題材に、学力が個人に従属するものでありながら、個々人が所属する集団のレベルとして発現されることを論考している。
www.kikikikikinta3.com
昭和の時代、分厚い中間層の存在が、日本の強みの一つとして挙げられていた。その中間とは、経済的な中流を指すのと同時に、学力から勤勉さまでを包含する教育的な質のようなものまでを指している。その分厚い中間層は、まさにここで言う集団レベルに該当するものだろう。そして、それは経済成長によって支えられていた。
マルキン、マルビ(〇字に金、あるいは貧)という流行後に代表されるように、当時も格差は存在していたのだが、それはデートに使える自動車や、日常着のファッション・ブランドなどのような浪費に類する消費活動に反映されたもので、基本的、不可欠な消費リソースにおいて、両社が接することのできるものに大差はなかった。
ブログ筆者の考えは置いて、この投稿が先の話題に通じると感じたのは、次のようなアイデアが思い浮かんだからだ。
自己責任、努力論者達は、レベルが個人に従属するゲームを戦っており、そのゲームの継続、維持を希望するがために反論している。一方、「親ガチャ」主張者たちは、そのゲームがあまりに運に依存する要素が大きいと認識しているのだが、彼らの主張は、次のどちらかであって、根本的なゲーム・システム改変要望には至っていない。
- 問題よって生じている現状への嘆き
- 自分が現状に至った根本原因として、問題の表明
「親ガチャ」主張者自身の希望は分からないが、彼らの希望を想像し、汲んだ結果としてゲーム・システムを改変するとしたら、個人に従属するレベルが上昇した際に、その上昇の恩恵が何らかの形で反映される仕組みではないか、ということだ。
それは、まさにPSP版「タクティクスオウガ」の仕組みだ。レベル上昇のタイミングで、レベル上昇に至った個人は、ステータスが上昇する。また実戦経験によって培ったポイントを投資することで、新たなスキルを獲得することができる。
ただレベルが上昇したクラスに所属しているだけの個人は、レベルは上昇するものの、ステータスは上がらないし、ポイントも獲得できない。ただレベルが上昇しただけとはいえ、装備品、魔法など、レベルに応じた制約のあるものは活用可能となる。
個人間の格差は残るのだが、レベルに応じたリソースは等しく活用可能なのだ。
もしゲーム・システムを改変するとしたら、経済成長に依存せずに集団レベルを向上させる仕掛けを土台として、レベル向上の恩恵が得られる仕組みを実装するのが正当進化版となるのだろう。
とはいえ、前述の応酬を目にすると、何か別のクソゲー的な改変に落ち着くのではないか、という嫌な予感しかない。そしていずれ、そのクソゲーは第三者によって全く別のゲームに置き換えられてしまうのだ。きっと「黒船」的な、まさしくゲーム・チェンジャーとして、その第三者は一部の層から歓迎されるに違いない。
付け加えれば、その一部の層は自己責任、努力論者でも、「親ガチャ」論者でもなく、第三者に類する別の人たちなのだが。