元々が自炊中心、あまり外食はしない生活スタイルだ。自炊すると、自分の調理レベルが基準となるため、出されたもの次第では「このレベルでこの値段…」という感想を抱くことも多々ある。
結果、よほど食べてみたいと思える料理でもない限り、食事自体を目的とした外食に出かける機会は減る。そして外食に、食事以外の価値を見出すことになる。端的に自炊の手間を省きたかったり、本を読みたいとか、勉強したいとか、長居する口実としての食事注文だったり。
それが新型コロナ流行の生活へ過学習的に適応した結果、そのような外食ですら無駄に感じられるようになり、ますます外食する機会は減った。
三連休の中日で、生活リズムがずれてしまった。何の準備もなく調理に取り掛かる気分にもならず、半年以上ぶりに最寄りの中華料理店へ出かけることにした。目当ては天津飯だ。
関西の天津飯、関東の天津飯
関西の中華料理店では、ほぼ常設のメニューであり、何も珍しいものではない。しかし関東は違う。主要メニューの中でも最低価格ランクのメニューに位置付けられており、常設のメニューでもない。
天津飯に載るたまごは、いわゆる「ふわとろ」なオムレツではなく、柔らかめに焼き固めた卵焼きのような様相だ。これは関西も関東も変わりない。特徴的なのは味付けだ、関西では酢豚にかかっているような甘酢餡をかけていることが多い。関東では醤油、オイスターソースで味付けした餡が多い気がする。
最寄りのお店の天津飯
ここは首都圏なので、最寄りの中華料理店の天津飯も、基本的には関東路線だ。この投稿トップに掲載している写真が、それだ。最低価格ランクのメニューであり、実際、主要メニューの中では、このお店で一番安いメニューだ。にもかかわらず、載せているたまごに対する、力の入れ具合は異色だ。いわゆる「ふわとろ」オムレツを白飯に被せている。
おそらく水から戻したであろう干しシイタケを具材にしたオイスターソースの餡掛けは、非常にシイタケの風味が強い。おいしくはあるのだが、残念でもある点だ。おそらく旨味調味料が多すぎるのだ。
旨味を感じるとき、旨味成分が味蕾を刺激している。甘味、塩味、苦味など、それぞれの味ごとに異なる味蕾が備わっている様に、旨味にも、それ専用の味蕾が存在する。ただ旨味成分が多すぎると、旨味を感じる味蕾が飽和してしまう。旨味成分の形状は苦味とも互換性があるため、溢れた成分が苦味の味蕾を刺激してしまうのだ。過剰な旨味を感じるとき、例えば、旨味調味料を直接舐めたときに感じる苦味は、これが原因だ。
一部の日本料理店が出汁にうるさいのは、この苦味を感じさせない、旨味を最大限に感じさせる、ぎりぎりのラインを追求しているのだろう。
残念ながら、このお店では、そこまでの配慮はしてくれない。従って、天津飯を食べ続けていると、どこかのタイミングで苦味を感じることになる。お店が配慮しなくとも、客が工夫する余地はある。ここが、別に注文しておいたスープを口にする適切なポイントだ。
もし、この苦味を感じないとしたら、それは流し込むように早食いしているか、よく味わっていない証拠だ。
日曜夜9時過ぎ、店内は夕食時の混雑、慌ただしさから開放され、落ち着きを取り戻したからか、天津飯の調理はスピーディーだった。ファーストフード並みの調理時間で、これが運ばれてくる。
卵かけご飯と本質的に何も変わらない、質素、質朴な食事ではあるのだが、外食する価値を実感できる食事だった。
余談
自宅調理では再現の難しい料理、たとえ天津飯のように素朴な料理であっても、調理にプロらしさが感じられる一皿が、ファーストフード並みの時間で提供される。そして当然、おいしい。
自炊に馴染んだ立場からすると、外食の魅力として、この程度は期待してしまうのだが、今後は稀有な例となってしまうのだろう。
インフレの時勢、並盛の牛丼に豚汁、生卵をセットしても700円くらいだろうか。天津飯とスープで900円弱ではあるものの、この水準の料理、それも人がその場で調理した、作り置きではない料理がファーストフード並みの待ち時間で登場する。
しかも鶏卵はじめ、材料のみならず光熱費、人件費も上昇している中、この水準を維持すること、それを期待することは現実的なのか、とも意識してしまうのだった。