これは2006年に、旧ブログへ投稿したものです。加筆、修正の上、こちらへ移行しました。
もっと勉強し、もっと本を読もう、という啓蒙書だ。啓蒙の書とは言え、語り口は軽妙で、洒落の利いた文体はとても読みやすい。人を動かすコミュニケーション能力とは、このようなものを指すのかもしれない。
本書が取り上げる学習とは、キャリア形成の場などで言われる「自己啓発」のような学習活動ではなく、自分自身の課題として継続的に取り組むテーマについての勉強を指している。
一般的に勉強と言えば、真っ先に思い浮かべるのは受験勉強ではないだろうか。まず受験勉強と、子供たちの取り組みから現状を解説し、次の論を展開していく。
- そもそも勉強とは何か
- 何をどのように学ぶべきなのか
筆者が勉強すること、読書の必要性を痛感している背景は、それが社会格差、階層形成に通じる懸念だ。学習環境、学習への取り組みを通じた結果が格差をもたらし、社会の分断を生み出すことは、新書『下流社会』*1などでも取り上げられていた話題だ。2021年の現在では、ある程度周知された事実だが、それは10年以上前から想定されていたことだった。本書では、これが勉強、継続学習を必要とする動機となっている。
2021年現在、若手として社会活動に参加している人たちは、この投稿を書いていた2006年当時、子供だった人たちだ。現在、この格差は様々な場面で可視化されているように感じる。いわゆるバカッターに代表される世間を騒がせる人たちだ。
また勉強不足とは異なる一面ではあるが、学習環境と支援の問題にも通じる、境界知能の話題も認知され始めている。
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何をどのように学べばよいのか、そもそも勉強とは何なのか、が本書の主題だ。勉強、読書に通じる一般的な話題から、良いとこ取りと逆差別を勘違いしているジェンダー・フリー論争のような時事ネタを通じ、章を分けて、論を展開していく。
- 読書のすすめ
- 倫理、道徳
- 歴史
- 自然科学
最初の数章で取りげるのは、受験勉強と、それにまつわる学習についての状況のまとめだ。ゆとり教育の問題、そこから派生する社会の階層化、および固定化について、統計資料などを交えて紹介されている。
ここで紹介されている話題は、読み飛ばすには深刻すぎる内容だ。ここ数年で、日本人児童の学力が低下している、という現実を統計資料は示している。
いわゆる読書離れについて、ハリー・ポッターやセカチューなどのメガヒットが生まれる中、いわゆる読書離れが回復してきたと言われている。それは本当なのか、と言う話題には興味を引かれた。
本来の読書が対象としているのは基本図書(古典、文学、思想、哲学)であり、エンターテインメントは対象外なのだという。つまりエンターテインメントを読む行為は読書とは見なされず、読書離れは継続している、というのが本書での見解だ。
最終章で取り上げられるのは、「好きなら伸びる」という言説だ。実際、好きこそものの上手、のようなことは社会でよく言われる。好きだから努力を感じない、好きだから勉強している感覚が無い、といったことだ。その結果が社会的階層の形成に通じているという。
ここで言う「好き」とは個性を表しており、それが延ばすのは個性に通じる才能だ。
好きなこと→個人の嗜好→個性
脱ゆとり教育への転換においても、個性に基づいた学習推進は継承されている。そして親が子供に求めているのは、いわゆる「ふつう」ではない個性なのだという。それはスペシャリストを求めている現代社会の要請であると同時に、子供の早期選別、職能分化志向の顕れでもある。結果として社会的階層の形成に繋がる、という論旨だ。
余談
あとがきで、筆者は次のように語る。それは個人的に共感を覚えた一言だった。
私はずるいことが嫌いだ。特に、他人がずるをして、甘い汁を吸っていると、とても腹が立つ
筆者は、私とは異なる世代の人物なのだが、どうやらお互い、性格も考え方も似ているようだ。だから筆者の論は、私には理解しやすく、自分自身の考えをなぞっているようなところがあった。