これは2005年に、旧ブログへ投稿したものです。加筆、修正の上、こちらへ移行しました。
Jim Jarmusch監督の新作は、11エピソードで、約90分で構成される短編集だ。全エピソード間の共通要素は、タイトル通り、コーヒーとタバコ、そして二人の役者(あるいは一人二役)と、その会話だ。登場人物間の関係は気まずいもので、ぎくしゃくしており、そこで生まれる会話も決して盛り上がるものではない。観客は、その会話を見守りながら、その場の雰囲気を堪能する。
11のエピソードは、10年以上をかけて撮りためたもので、それぞれのクオリティにはばらつきがある。最初の数編はコメディ的な面白さがあるものの、中だるみを感じさせるエピソードを挟んで、かなり渋く落ち着いたエピソードで締めくくる。同監督の名作『ナイト・オン・ザ・プラネット』*1に通じる構成だ。
Roberto BenigniやSteve Buscemi、Bill Murrayなど、各エピソードには同監督作品の常連が登場しているが、最も関心を引いたのは、次の2エピソードだった。
SOMEWHERE IN CALIFORNIA - Iggy Pop & Tom Waits
このエピソードは、二人の役者のキャラクター、外見、醸し出す雰囲気を、お互いに取り替えるように演じている。Tom Waitsは気難しく、Iggy Popはなんとかその場を繋ぎ、取り繕うように装う。
監督のインタヴューによると、撮影当日のTom Waitsは、かなり不機嫌だったという。その不機嫌さを敢えて、フィルムに残したのだ。演技はしているのだろうが、そこには素の役者の一端が垣間見えているということだ。だから、それに付き合わされるもう一方の役者も、完全に演技しきれないところで、素が現れてくる。
そのことを意識して、同エピソードをもう一度鑑賞すると、おそらく初回に抱いたのとは違う印象を抱くことだろう。
COUSINS - Cate Blanchett
このエピソードは、Cate Blanchettが映画女優と、その従妹の一人二役を演じている。この女優の凄いところは、好悪自在に様々なキャラクターを演じながらも、特定キャラクターの気配、印象を全く残さないところだ。
例えば、Harrison Fordには常にハン・ソロや、ジョーンズ博士のキャラクタが付きまとうような印象がある一方、Cate Blanchettにはない。Cate Blanchettが出演している映画作品を知っている人は多いだろうが、全く正反対の属性、性格を持つキャラクターを演じながら、微塵も引きずらないのだ。『シッピング・ニュース』*2では酷い悪妻を演じ、『ロード・オブ・ザ・リング』*3ではエルフの女王を演じるという、光と影の両極端のように正反対のキャラクタを演じながら、Cate Blanchett自身を含めて全てが独立しており、Cate Blanchett自身は、あくまでも中立に存在している。
このエピソードは、その悪妻とエルフ女王の競演みたいなものだ。外見、言動、そして立場や環境に由来する身のこなし、どちらも自然なのだ。従妹は映画女優の生活をうらやんでおり、映画女優は従妹を疎んじていながら、それを露骨には表さない。しかし従妹同士に由来する、微かな共通点を、自然に醸し出している。
余談
「コーヒーを飲みたくなる」、「タバコを吸いたくなる」がこの作品を観た人たちが言うことの定番だ。しかしながら2020年台の現在、同じことを感じられるだろうか、あるいは感じたとして同じことを言えるだろうか。特に”タバコ”だ。90年代から喫煙に対する圧力は高まり、現在では排斥同然の扱いだ。
一方、コーヒーは、その存在感をますます高めている。同じく90年代以降に登場し、増殖的に店舗を増やしたコーヒー・チェーンの影響だろう。
コーヒーとタバコは良いコンビネーションかもしれないが、すでに、その構図はごく一部の人たちにしか通用しない。
そして新型コロナの流行により、対面での会話も憚り、躊躇する時勢になった。2020年代の現在、「COFFEE AND CIGARETTES」は成立しない。