2022年4月3日に、RIAノーボスチに次の記事が掲載された。一時的にサーバーへアクセス出来なくなることがあるため、Wayback machineのアーカイブも併記している。
この投稿は、その日本語訳だ。翻訳は次のプロセスで行った。
- DeepLによる露日変換
- DeepLによる露英日変換
- DeepLの出力比較
- DeepLの露英変換に基づいた翻訳
露英変換の精度を、私は評価することはできず、その英日変換と露日変換の出力を比較した。ほぼ同程度の精度であると判断した上で、露英変換の出力を日本語訳した。
翻訳がこなれていないのは、私の能力不足もあるが、英語出力と、本文の内容にも影響されている。余りに冗長な修飾、比喩、句と代名詞の関係、解釈等々、私の教養、スキルでは持て余すところが多かった。
従って、重訳としての日本語訳であること以前に、日本語としての意味、文章構造の正しさすらも、この投稿は保証しない。
何より読んでて疲れたし、そのようなわけなので、読み返し、推敲すらしていない。
用語
APU Armed Forces of Ukraine |
ウクライナ軍 |
Bandera Ukraine | バンデラ主義ウクライナ |
Crimean scenario | クリミア再占領 |
Debanderization | 脱バンデラ主義 |
The line of alienation | 厳密に、ここから入るな、という境界線 簡単に緩衝地帯とした |
Marshall Plan | マーシャル・プラン 欧州復興計画 |
national batalion | アゾフ大隊を指す? |
New Russia | ノヴォロシア |
racial laws→racist laws? | 人種差別禁止法 |
Rossotrudnichestvo | ロシア連邦交流庁 |
Ukrainism | =Ukrainianism ウクライナ主義 |
日本語訳
ロシアがウクライナに対してすべきこと
昨年4月、ウクライナの非ナチ化が不可避であることを執筆した*1。ロシアの敵であり、西側の手先であるナチス、バンデラ主義ウクライナに用はない。今日、非ナチ化の核心は実践段階に達した。
多数派とでも呼ぶべき、相当の人々がナチス体制に屈し、その政治活動に引き込まれたとき、非ナチ化が求められるのだ。「悪いのは政権であり、人民ではない」という前提が成り立たないのだから。非ナチ化の根拠、そのあらゆる手段は、この事実認識に基づいており、事実そのものが問題なのだ。
ウクライナはまさにそのような状況にある。ウクライナの有権者が「ポロシェンコの平和」と「ゼレンスキーの平和」に投票したという事実に欺かれてはならない。当選に際し二人の大統領が公然と仄めかした、電撃戦によって最短で秩序を整える過程に、彼らは大変満足していのだから。国内ファシストに対する、恐怖による「融和政策」は、オデッサ、ハリコフ、ドニエプロペトロフスク、マリウポリ、その他のロシアの都市で実施された。その辺のウクライナ市民にはお似合いの方法だ。戦争犯罪人として直接裁くことのできない、そのようなナチ化された大衆に対する一連の措置が、非ナチ化なのだ。
武装したナチスは、戦場において極限まで粉砕されなければならない。領土防衛に置いて、ウクライナ軍もアゾフ連隊も大差はない。彼らは同様に、民間人に対する極度な残虐行為に関与し、ロシア人虐殺の罪を犯し、戦争法や慣例を順守しない。戦争犯罪人、並びにナチスは懲戒、極刑に処されるべきなのだ。祓い清める必要があるのだ。ナチス、並びにその実行者と関わりのあるいかなる組織も一掃されてきた。しかし、指導者だけでなく、大部分の一般大衆も、つまりナチスの言いなりになるもの、その共犯者もまた罪を犯しているのだ。彼らはナチス政権を支え、甘やかしてきたのだから。これらの人々に対する制裁は、対ナチス戦争という不可避の辛苦を耐えることによってのみ可能となり、一般市民として最大限の注意、慎重さをもって実行される。それは一貫した再教育であり、つまり政治、必要によっては文化、教育面におけるナチス的姿勢に対する観念的抑圧(抑制)と、厳しい検閲によって達成される。一般大衆の深刻なナチ化は、ウクライナ的ナチズムに反抗したドンパス市民の8年に及ぶ戦争と同様、文化と教育によって整え、実行され、ナチス体制のロシアに対する勝利がもたらす分け前、プロパガンダ、暴力と恐怖によって支えられたのだ。
非ナチ化が勝者によってのみ実行可能なのは、
- 非ナチ化プロセスを完全に管理し、
- その管理を確実なものとする能力
を前提とするからだ。この点において、非ナチ化対象国は主権を持ちえない。非ナチ化を行う国家としてのロシアは、非ナチ化を自由主義的なアプローチで推進することはできない。非ナチ化について犯罪者が異議を唱えることもできない。ロシアがウクライナを非ナチ化する必要があると考えているのは、ウクライナがクリミアを再占領できなくするためだ。2014年のドンパス戦争でも実現できなかったことだ。ナチスの暴力と恐怖に対するわずか8年間の抵抗が、大衆を団結に導き、ウクライナとの連帯を断固拒否するに至らしめたのだ。
現代のナチス化したウクライナが異常なのは、一定しない二面性だ。つまり「独立」、「欧風」(西側、親米)の願望、「進歩」(実際のところ劣化)の過程によってナチズムを隠蔽しながら、「非道を行う個人はいても、ナチズムはない」と言い張るのだ。何しろナチス主流政党はなく、総統も存在しなければ、本格的な人種差別禁止法もないだから(ロシア語の使用が制限されているに過ぎない)。その結果、体制に反対も抵抗もしないのだ。
だからといって、ウクライナのナチズムが20世紀前半の本家ナチズムに劣るというわけではないのだ。それどころか、既成概念にとらわれず、ヨーロッパ人の、そしてその最上位形態であるアメリカ人の人種差別主義のように、のびのびとナチズムの基礎理論を展開しているのだ。だからこそ、「EUは良いが、NATOはダメ」といった形式的な妥協無しに、非ナチ化を行う必要がある。西側集団こそ、ウクライナ的ナチズムの設計者、発信源、スポンサーであり、西側バンデラ主義者幹部達とその「歴史的記憶」は、ウクライナのナチス化を進める道具の一つに過ぎない。ウクライナ的ナチズムは世界とロシアに対して、本家に劣るどころではない脅威をもたらしているのだ。
ナチ体制から解放された領域における、非ナチ化された国家名称として「ウクライナ」を名乗ることはできないだろう。ナチズムから解放された土地に築かれる人民の共和国諸国は、経済的自治、社会保障を実践し、生活支援体制を復旧、近代化していくのだ。
実のところ、彼らの政治的野心は中立にはなり得ず、ロシアに敵対した罪は、復興、発展の過程でロシアに”帰依”することによってのみ償われる。「マーシャル・プラン」を推進すべきではない。思想的、実質的な意味、非ナチ化との親和性において、「中立な状態」にはなり得ない。非ナチ化された新たな共和国における、非ナチ化された幹部、組織は、ロシアが指揮する軍隊、ロシアの組織的支援に依存せざるを得ないのだから。
また非ナチ化は不可避的に脱ウクライナ化でもある。つまりソ連行政機関が人為的、爆発的に増加させた、ノヴォロシア、小ロシアの歴史的領土における固有民族特性を否定するのだ。共産主義超大国を構成したものの、その崩壊後は西側超大国へと下った。それは本来の境界線へ戻されるべきであり、政治的機能は剥奪されなければならない。
歴史が示すように、ジョージアやバルト諸国とは異なり、ウクライナは民族国家として成立しえず、「建国」の試みは必然的にナチズムへと繋がるのだ。ウクライナ主義とは、文明的に空疎な見え透いた反ロシア思想であり、異邦人とその文明に従属した概念だ。ナチ・ウクライナの欧州化計画を隠蔽、演出するのがバンデラ的要素なのだから、バンデラ主義を脱したからと言って、十分に非ナチ化されたとは言えない。ウクライナの非ナチ化とは、欧州化を脱することでもあるのだ。
選りすぐりのバンデラ主義者の再教育は無理なので、彼らを排除せねばならない。自発的にせよ、受け身にせよ、行動有無に関わらず、それを支援した社会のクズどもは、戦争の苦難を乗り越え、歴史的教訓として経験から学び、その罪を償わなければならない。ナチ体制を指示しなかった者、ナチ体制やドンパス戦争に苦しめられた者は組織化され、新政府を縦横に支える。歴史的経験が示すように、悲劇や戦時ドラマは、ロシアの敵役によって惑わされるような人々には有用なのだ。
ナチス政権を支持せず、ナチスとそれがドンバスにもたらした戦争に苦しめられた人々は、統合され組織化され、新政府の、その縦と横の支えとならなければならない。歴史的な経験は、戦時中の悲劇やドラマが、ロシアの敵の役割に誘惑され、流されてきた人々のためになることを示している。
特殊軍事作戦の目的としての非ナチ化とは、次のように理解できる。キエフ体制に対する軍事的勝利、武装したナチス支援者からの領土解放、不倶戴天のナチス排除、戦争犯罪人の捕獲、平時の非ナチ化に備えた体系的な環境を整えることにある。
後半は、非ナチ化された地方自治組織、警察と防衛部隊を組織し、新共和国設立プロセスを立ち上げる所から始まる。ロシアにあるウクライナ非ナチ化担当部門(新しく組織するか、例えばロシア連邦交流庁を改組する)と、新共和国とを緊密に連携させる。ロシアの管理下にある共和国として、非ナチ化規制の枠組みを採用し、非ナチ化解放区ではロシアの法律、司法権を適用するための境界、枠組みを定義する。旧ウクライナにおける人道に対する罪を裁く法廷を設置する。この点について、ロシアは、ニュルンベルグ裁判における法の番人の立場を担う。
以上のことから分かるのは、非ナチ化を達成するためには、人々の支援が必要であることだ。情報的孤立から脱し、キエフ体制による恐怖と暴力、思想的抑圧からの解放された暁に、人々をロシア側へ復帰させることだ。もちろん、戦争行為のショックから立ち直り、「見捨てるつもりはない」というロシアの長期的な意志を確信するまでには時間を要することだろう。どの領域において核心的多数派が形成されるのかを、事前に、正確に予測することは不可能だ。「カトリック州」(5つの地域からなるウクライナ西部)は親ロシア領域にはならないだろう。
緩衝地帯は経験的に明らかになる。正式にナチズムが禁止され、中立、非武装を強制されたウクライナを除き、ロシアに対する敵意がその境界を越えることはない。ロシア嫌いはウクライナへ向かうだろう。一連の要求を順守しなければ、直ちに軍事作戦を継続するという前提で、中立状態にある残存ウクライナを保護し、それを保証するべきだろう。そのためには、ロシア軍が常駐しなければならない。緩衝地帯はロシア文明、つまり本質的に反ファシストの領域である。
ウクライナの非ナチ化作戦は、軍事フェーズに始まり、平時においても軍事作戦同様の段階を経る。それぞれの段階における成果として、不可逆的な変化をもたらさなければならない。非ナチ化の初期段階は次のように定義される。
- ナチス武装組織(ウクライナ軍を含む、あらゆる武装組織)、その活動を支える軍事、情報、教育インフラを一掃する。
- 解放地帯の自治、自治、民兵(防衛と法執行)を組織し、ナチス地下組織のテロ行為から住民を守る。
- ロシア情報圏を展開する
- ナチスの思想的指針を反映した教材を排除し、あらゆるレベルの教育プログラムを禁止する。
- 戦争犯罪、人道に対する罪、ナチス思想の拡散、ナチス体制の支援に対する個人的責任を立証するための大規模調査を実施する。
- ナチス体制共犯者の氏名を公表し、死刑、懲役刑でない者は、罰として強制労働に従事し、破壊されたインフラを再建する。
- ロシア監督下で、「ボトムアップによる」非ナチ化規制を地方レベルで適用し、あらゆる形態でのナチス思想復活を禁じる。
- ウクライナ・ナチズムの犠牲者、英雄に対する記念碑、記念シンボル、記念像を設立し、英雄と闘争の記憶を永続化する。
- 新人民共和国の憲法に、反ファシスト、非ナチ化に関する一連の規範を記載する。
- 25年間、非ナチ化を維持する機構を組織する。
ウクライナの非ナチ化において、ロシアに味方する国は存在しない。それはロシア自身の問題だかだから。加えて、根絶されるのはバンデラ主義ナチス・ウクライナだけではなく、何にもまして、西側全体主義であり、文明を劣化、崩壊させるために押し付けられる計画であり、西側、アメリカに対する服従の仕組みなのだから。
ウクライナの非ナチ化を実行するためには、西側が捨て去ってしまった、旧世界のヨーロッパ的価値観にふさわしく、それを最後まで保全するのはロシアであり、ロシアこそが西ヨーロッパ、欧米寄りの思い違いと決別しなければ、ウクライナの非ナチ化計画を実行することはできない。世界大戦、ロシア革命、20世紀中続いた闘争は継続しているのだ。
20世紀、ロシアは西側を救うために手を尽くした。国民国家を勝ち取った社会主義者は、資本主義ではなく、共産主義化を推し進めた。西欧文明の危機が生じさせた怪物たる、ドイツ・ナチズムを粉砕した。利他的行為として有効の手を差し出したものの、90年代には大打撃を被った。
ロシアが西側のためにしてきたことは、すべて自費で、最大の犠牲を払って行ってきた。結局、西側はこうした犠牲を受け入れることはなく、西側の危機を解決しようとするロシアの貢献を貶め、無償支援に対する報復を決意したのだ。西側の行く末を気にすることなく、非植民地化のリーダーとして、ロシアは自らの道を行くだろう。
このプロセスの一環として、何世紀にもわたって西側に抑圧され、二度と屈することのない国々と、ロシアは協力、同盟する用意がある。ロシアの犠牲、闘争なくして、これらの国々が解放されることはなかっただろう。ウクライナの非ナチ化は、非植民地化でもある。いわゆるEuropean choiceという陶酔、誘惑、依存から自由になれば、ウクライナ人も理解することだろう。