この映画を鑑賞して、何より良かったのは、無用に感情を刺激されず、リラックスして映像を堪能できたことだった。少なくともストーリーに退屈させられる要素はなく、つまらないと感じる要素もない。そして強烈に印象に残る要素もない。
「雰囲気」映画と呼ばれるものがある。分かる人には伝わる仕掛け、オマージュ、パロディが組み込まれているのかもしれないが、それらを感知できずとも、一通り目を通したことによって、映画自体に対する解釈を得たわけでもなく、何らかのメッセージが伝わっただけでもない。ただ作品の醸し出す雰囲気に浸っただけのような印象が残る作品のことだ。
映像とストーリーの主従関係において、映像が主であることを認めながらも、ストーリーの伝わらない、あるいは事実上存在しないと解釈されたならば、この作品は、まさしく「雰囲気」映画と見なされることだろう。
この映画はオムニバス形式の作品で、各ストーリーを雑誌記事になぞらえている。この作品に登場する編集長は、「意図を明確に」と執筆陣へ指示するのだが、映画のストーリーからは何も意図が感じられないのだ。
おそらく、この作品の意図はストーリーではなく、映像そのものに込められているのだろう。映像表現を通じて何かを伝えるのではなく、次のような映像表現こそが、この映画の意図することだろうと、私は解釈した。
- 映画としての雑誌
- 雑誌のフォーマットを映画として表現した。
- つまり、雑誌『フレンチ・ディスパッチ』最終号を映画として表現した。
- 雑誌としての映画
- 映画のフォーマットで雑誌を表現した
- つまり、雑誌『フレンチ・ディスパッチ』最終号は映画として「出版」された。
プロレベルの記事、写真を配した雑誌を刊行し、会誌として配布しているクレジットカード会社がある。その記事は旅行、レストラン、ラグジュアリーなど、会員の消費欲求を掻き立てることを意図しているのだろうが、実際のところ、あまりに実生活とかけ離れすぎていて、何の刺激にもならなければ、印象にすら残らない。
あるいは機内誌だ。会誌が収録しているような話題に加えて、ビジネス・パーソンを意識したかのような、機知に富んだ、気の利いた話題、時事ネタが収録されている。何かの問題提起や主張が込められているわけではなく、野暮にならずダサくない、嫌味にならない程度にセンスを感じさせる、暇つぶしのためのエッセイだ。
雑誌であり、映画でもある『フレンチ・ディスパッチ』は、何の中身もなく、印象にも残らない、会誌や機内誌のような雑誌だ。この映画は、そのようなストーリーを雑誌的に表現している。
- ある画面はワイド、またある画面はスタンダード
- ある時はカラーで、またある時はモノクロ
- 特定の場面は、あえて静止画
- アニメーションもある
つまり、それらは各項を文章とともに飾っている写真であり、挿絵なのだ。
そして各ストーリーに登場する語り部がライターであり、彼らの活字表現が、自ら主演するドラマとして表現されている。
このような仕掛けに気付こうが、気付くまいが、各ストーリーが陳腐であることには変わりがない。その点においては、「雰囲気」映画に違いはないのだが、雑誌表現であるというメタ視点を持てたかどうかによって、その「雰囲気」の在処が異なる。
- 会誌や機内誌のような雑誌を表現した
- その雰囲気までも表現した
- その雰囲気は雑誌に由来している
これに気付かなければ、その印象が映画そのものに由来していると混同してしまうことになる。
そして、この投稿冒頭のような印象が残るのも当然なのだ、
- 少なくとも退屈しない
- つまらないことはない
- 何も印象に残らない
無用に感情を刺激されず、リラックスできるのは、そのような雑誌が持つ特性、効能であり、この作品は、まさにそのような雑誌の映像表現だった。
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https://www.imdb.com/title/tt8847712/www.imdb.com
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