『出会い系サイトで70人と実際に会ってその人に合いそうな本をすすめまくった1年間のこと』というタイトルは、「おすすめ」した本についての事柄、その本を紹介したことによる70人の変化についての語り、それを期待させるニュアンスを漂わせているかもしれない。しかし、それは読者の自分勝手な期待であり、実際のところ、それらは主題を語る上での添え物に過ぎない。
この小説の主題は、タイトル通りに「1年間のこと」であって、「おすすめした本」のことではない。さらに言えば、「おすすめ」し続けた1年間に生じた作者の変化だ。その意味では、小説というよりも自己啓発的な要素もある。
語られているのは、2013年の出来事だ。これまでの10年の間には新型コロナ流行という、生活習慣を極端にインドアへ向かわせる不可抗力的な期間を経て、そこから解放されようという今、本を読む行為を無意味化させかねないAI技術も登場している。
この小説は現実に基づいたフィクションだが、事実上のフィクション化、ファンタジー化、あるいはフェイク化する現実が目前に迫っているようにも感じさせられた作品だった。
ある調査*1によると、新型コロナ流行に伴い、4割の人たちの読書時間は増えたのだと言う。とはいえ、調査回答者の8割は読書習慣を持ちながらも、その多数派は1~3か月に一冊読むかどうか、という人達だ。
ブログ記事でさえAIに要約させて読む、という時代になると、読書離れ以前に「本を読む」という行為自体が放棄され、本を「すすめる」ことも連鎖的に喪失されるのではないだろうか。そうなると本を読み、すすめ合うことは、限られた人たちの間だけで成立する行為となる。フィクション化、ファンタジー化の発想が浮かんだ背景だ。
そして、それ以上に個人的に強く感じているのが「おすすめ」という行為自体の虚構性だ。何かを「すすめる」というのは難しい。学生時代はよく本やCDについて「おすすめ」しあったものだが、実際のところ、それは「おすすめ」というよりも押しつけや蘊蓄披露のようなものに近いものだった。マウンティングや影響力の行使、承認欲求を充足させるための手段、過程みたいなものだ。
そもそも本気で「おすすめ」したところで、結局のところ相手がそれを読む、聴くとは限らず、たとえそうしたとしても気に入ってくれるとは限らないのだ。おそらく言葉の本義と、その実態が大きくかけ離れているのが通常であり、さらには、その本義通りに機能することがないのが「おすすめ」ではないだろうか。
実際、本をすすめることについて、作者は次のように語っている。
その人のことがわからないと本はすすめられないし、本のことも知らないとすすめられないし、さらに、その人に対して、この本はこういう本だからあなたに読んでほしいという理由なしではすすめられないんじゃないかとも思う。
紹介する本は毎回真面目に考えているし、紹介したからには興味持ってほしいな、読んでくれたらもっとうれしいな、とは思うけれど、真面目に選んでるのはこっちがやりたくてやってることだ。本目当てじゃないことに文句を言う筋合いはない、と思い直した。
読んでもらいたい理由が無ければ「すすめる」ことが成立しない。そのための準備はするのだが、結局のところ、自分がやりたくてやっていることなのだ。「すすめる」というのは動機というよりも、その行為に対する呼称のようなものだ。
本をすすめるという行為について、作者は次のルールを定める程度には真剣に取り組んではいるのだが、
🔎本をおすすめするときの注意
- 特定のジャンルに詳しい人にその道の定番本・話題本を紹介しない方がいい
- 本をあまり読んでいない人には、有名な本や名作を紹介しても良い
- 本をよく読んでいる人には、名作・ベストセラーは基本的にNG。マイナーな本や、聞いたことのない本、その人が読む本から遠いジャンルの本が喜ばれる
- ただしその場合も「なぜその人にその本なのか」という理由付けは必要
- どのくらいの遠さがベストなのか―かなり遠いジャンルを求めているのか、その人の好きなジャンルからちょっとずらすだけの方がいいのかは人を見て総合的に判断
- 性別・年齢・職種・趣味というその人のスペックから発想するより、その人の雰囲気から紹介する方がウケることもある(占いとか、「その人をイメージしたカクテル」に近い)
「すすめる」ことが奏功することを期待していないし、何よりもまずは「自分のしたい」ありきなのだから、結局それは私の「おすすめ」と相通じる行為なのだ。
このような解釈に帰着したものだから、「本をすすめまくった」という事柄、その本質についてのフィクション性のような印象が強化されてしまい、読み進めるうちにカジュアルなフィクション小説を読んでいるような感覚に切り替わってしまった。
やはり何かを「すすめる」のは難しいが、同時にそれは虚構なのだろう。
余談
「その人のことがわからないと本はすすめられない」という。その人のことが分かるためには、そのひとの本棚や音楽ライブラリを眺めるのも一案だろう。とはいえ、いつもそのような機会に恵まれるわけでもないし、膨大なコレクションを見せつけられても困るだろう。
このような事態を想定していたわけではないが、自分自身の音楽の趣味をどのように効率的に伝達するか、プレゼンするかを動機として作業したのが、iTunesライブラリをワードクラウドで表現することだった。
impsbl.hatenablog.jp
同じことを本棚で実践するのは困難だろうが、未読リストとその既読管理を見せてもらうという手立てがあると思う。新規性のある「おすすめ」はできないかもしれないが、確実に読んでもらえることは期待できるのではないだろうか。