突然8月を思わせるような気温の毎日。
雲の少ない青空に若干の爽快感を感じるほど、まだ余裕がある。
本当にそれを好きなのか?
impsbl.hatenablog.jp
未消化の娯楽に手を付けないのはなぜか、それを消化する時間がありながらも、無為に時間を消費してしまうのはなぜなのか、について考察した。積み上げられたことによって、自発的に楽しむべき事柄が、やらなければならない義務へ転換してしまったのではないか、というのが前回の結論だった。
もう一つ思いついたのは、それを楽しむ自分を客観視したイメージに魅力を感じており、それを楽しむ自分自身、つまり主管視点には魅力を感じていないかもしれない、という可能性だ。つまり、それを楽しんでいる風景、それが醸し出す雰囲気が好きなのであり、それを楽しむこそのものを好んでいるわけではないのかもしれない、ということだ。
ゲームや書籍、雑誌、映画などなど、楽しみたいものは色々とあり、手元にあるものは多いにもかかわらず、何も手を付けようとしない。実際はそれらを楽しみたかったのではなく、それを楽しんでいる自分自身と、その客観視した自分が含まれている状況、雰囲気に魅了されたのではないか。
もしかすると、それらを欲し、手に入れたのは、そのような状況、雰囲気に少しでも近づこうとしたからであり、それらを楽しもうと思ったわけではなかったかもしれない。あるいは、それらを楽しもうと思ったこと自体は、行動を起こすためのトリガーとして機能することが目的であり、目的を達成したあとには雲散霧消してしまうような感覚なのかもしれない。