これもちょっとした先送りと言うことなのかもしれない。ある事柄に着手しようと思いたつ。すぐ作業を始めればよいものを、何か別のことをやりながら時間を浪費する。何がきっかけと言うわけではないのだが、ふとしたタイミングで着手したところで、入浴は睡眠の時刻が到来し、目立った進捗もなく作業を中断するのだ。
思いたったらすぐに始めないのは、面倒なのでもなく、克服困難なハードルが目に見えているわけでもない。何か躊躇しているのだろうか、あるいは躊躇させる理由があるのだろうか。思い当たるのは、
- 綺麗に始めたい
- 環境を汚したくない
- 試したくない
という感覚だ。手探りで始めるわけでもなく、ほぼ確実な手続き、手順、工程を把握していながら、何かちょっとした不明点があり、それを確認するのにちょっとした手間が必要で、それが躊躇させている理由に通じている気がしている。
もしこの推論が当たっているならば、それは最近の情勢に置いて致命的、不適合な特性が生じ始めていることになる。決められたこと、分かっていることしかやらない傾向があるだけでなく、不確定要素に対応しながら物事に取り組めない、ということだからだ。
結果を気にしない勇気は必要だが、それ以前に始め方も気にし過ぎない方が良い。
日曜討論
ラジオで日曜討論を聞いていた。出演者のうちの三人は
- 山際、経済再生担当大臣
- 芳野、連合会長
- 十倉、経団連会長
立場は異なるものの、この三人のスコープは共通だ。それは、この三人は言うなれば正規雇用者だけを対象にしている。そして冨山、経営競争基盤会長が指摘するように、そのスコープがとらえているのは労働人口の2割に過ぎない。
さらに冨山氏が指摘するように、スコープ外には、非正規雇用だけでなく、サービス業を含む地方経済も含まれている。
経団連は企業の声を代表しており、連合は正規雇用者の声を代表しているのだが、非正規雇用者にも支援を差し伸べていると言及する。しかし神吉、東大准教授が指摘するように、それは「ただやっている」というポーズでしかなく、当事者たちにとって現実的に機能する、有効な支援に繋がっていない。加えて、ただポーズだけでも「やっている」ことになるものだから、支援が機能しないのは当事者たちの自己責任、と言うロジックにも通じることになる。
冨山、神吉氏が指摘するような、全体を見渡したうえでの思考、行動を伴わない人物が、各団体のトップレベルなのだから、その人物以前に、そうさせてしまう組織、体制、社会が終わっているのだ。
さらに付け加えると、先の三名はなぜか一言目、そして発言の合間に「笑い」を挿入するのだ。そうさせる感覚、意図は何なのだろうか。とても人前で好印象を与える話し方ではないと思うのだが、何かを出し抜いた、あるいは見下しているような感覚、思惑が備わっているのだろうか。
ただでさえ発言の態度、内容がひどいのだから、印象など気に欠ける必要が無い、あるいはそこまで考えが及ばないのだろう。そうすべき自覚すらないのかもしれない。