昔、「憤怒」を「ふんど」と読み、父親から指摘されたことがある。しかし、この映画の場合は「ふんど」で正解なのだ。実際タイトルに「ふんど」とふりがなが添えられている。
描写、展開が雑な部分があり、現代だと問題視されるだろう描写もあるものの、面白く楽しめた。何より痛快に感じたのは、黒幕の主犯を問答無用に射殺してしまうところだ。
娯楽作品として解釈すれば、深く突っ込むのは野暮なところだが、現実には相当な議論を巻き起こすところだろう。
主人公は自身の無実、潔白を明らかにするために逃走し、検事でありながら法を犯す。最終的に辿り着いた黒幕に銃口を向けたかと思えば、躊躇なく引き金を引くのだ。さらには検事を追跡していた刑事までもが「正当防衛」を主張して、リボルバーが空になるまで追い打ちをかけるのだった。
法の裁きにかけるようなことはしないのだ。彼らは追い込まれたバットマン的な存在ではなく、パニッシャーだったのだ。*1
映画の最後、「逃亡中によくわかりました」と検事は次のことを述べる。
- 法律だけで裁いてはいけない罪がある
- 法律では裁けない悪がある
法律だけで裁いてはいけない罪がある
前者は、自分自身の振舞いに対する反省だ。事件に巻き込まれる前まで、検事は法律の条文を前提に人を裁いてきた。しかし逃亡中、指名手配されていることを知りながらも、匿ってくれたり手助けしてくれる市井の人達に遭遇する。犯人を匿うことは犯人蔵匿罪、隠避罪に問われること、さらには共犯者となることを知ってか、知らずか、彼らは検事を助けるのだ。
さらに検事を追いかける刑事ですら共犯者となる。さらには正当防衛を主張する刑事に対して、その証人ではなく共犯者であると、検事は主張する。
そして後述するように、刑事と検事を裁くであろう法廷すら、彼らの共犯者になるだろうことが暗示されるのだ。
法律では裁けない悪がある
後者は、本件の発端となる存在であると同時に、その決着の付け方に対する自分自身への正当化でもある。つまり法で裁けない悪なのだから、
- 仕方なく引き金を引いた
- あるいは私刑でも仕方ない
ということを暗に示唆しているのだ。そして、これをサポートするかのような結末が、さらに印象的だった。
射殺は正当防衛と見なされる。検事は、巨悪を告発した功労者と見なされる。実際のところ、検事は逃亡中、次の犯罪を犯している。
- 詐欺
- 銃刀法違反
- 飛行機強奪
- 航空法違反
それらについては納得尽くの行為であり、法の裁きを受ける意思があることを、本人が述べる。しかし、それらは無実を晴らすためのものであり、情状酌量の余地ありと上司から伝えられるのだった。最後は結局、全ての関係者が共犯者となるのだ。
余談:上有政策下有对策
この作品は中国で大ヒットし、検事役を演じた高倉健が、中国での人気を獲得するきっかけにもなった。それほどまでに中国で受け入れられた理由について、納得できそうな理由が、私には感じられた。それは「上有政策下有对策」だ。
「上有政策下有对策」は、お上が統制しようとしても、下々は何らかの対抗手段を講じている、ことを表現する言葉だ。
検事、刑事の行い、そして彼らの上司の法律に対する見解と対応、全てが共犯者になる結末を、中国人たちは『水滸伝』の好漢のように捉えたのではないだろうか。法を犯しながらも巨悪と対峙し、形式的ながらも法を婉曲に適用される。それはまさに「上有政策下有对策」のように、私には感じられるのだ。