Technically Impossible

Lets look at the weak link in your statement. Anything "Technically Impossible" basically means we haven't figured out how yet.

すずめの戸締まり

【冒頭12分映像】『すずめの戸締まり』※本編ではございません。

新海誠のこれまでの作品とは、大分違った印象の新作だった。これまでの作品は単純明快で、観れば分かる、理解できる。しかし今回は違った。全てを語らないのだ。例えば、次のことは少し考えなければ理解できないのではないだろうか。

・なぜダイジンは、扉が開いている地へ導き続けるのか
・なぜサダイジンは東京から追ってきたのか

それらを察することのできる情報は提供されるのだが、理由や目的がはっきりと提示されないのが、今作の特徴だ。考察のレベルで、解釈を観客に委ねているのかもしれない。

うちの子になる?

すずめは偶然の成行から、訳も分からずダイジンを要石の役割から解放してしまう。訳が分かっていないのだから、思いつきからダイジンに「うちの子になるか?」と声掛けまでしてしまう。この何気ない一言が、この後から展開されるロードムービーへ通じるダイジンの動機になっている。つまり、

  • ダイジンは、すずめのうちの子になりたい
  • そのためには誰かに要石を代役してもらわなければならない
  • 誰かを要石とするため、扉が開いている地を訪問する必要がある

扉が開いている地ではミミズが活動している。その活動を鎮めるのが要石の役割なのだから、代役となるものには、その地で要石になってもらう必要がある。宗像君に要石の役割を押し付けるまでの流れが、宮崎から東京までの展開だ。

すずめと環の関係

この過程の中で明らかになるのが、すずめと、その伯母である環との関係性、構図だ。環は、震災で母を失ったすずめを引き取っている。思いつきのような気軽なものではないが、誰もが望んではいない偶然の展開から、すずめは環の「うちの子」になった。
この環→すずめの関係性が、すずめ→ダイジンの関係性と相似になっている。ただし環の場合とすずめの場合には、一つだけ大きく異なるところがある。環は男を諦めたが、すずめは諦めてはいないのだ。それが東京から東北、常世の展開だ。

ダイジンとサダイジンの関係

そしてこの構図はダイジンとサダイジンの関係性にも引き継がれているようだ。対となる要石が、それぞれ西日本、東日本を鎮めている。サダイジンはその一方を担っている。
どうやら芹沢君の後部座席での振舞いを見ると、この二匹は親子関係にあるようだ。つまりサダイジン→ダイジンにも、似たような関係性がありそうなことが分かる。例えばサダイジンの「うちの子」なのに、すずめの「うちの子」になろうとしたような。

環が東京まで、すずめを追ってきた理由は不純な異性関係を疑ったからだ。それは年齢的なこと、社会的な立場や犯罪的なことまで、諸々の理由が想像できるのだが、究極的にはよその「うちの子」へ発展するからだ。
サダイジンが東京まで追ってきたのも似たようなものだ。二匹で地鎮する責任を果たすためというのはもっともな理由だが、よその「うちの子」になれないのだと諭す理由もあったのだろう。

結局ストーリーや、それが言外に意図する物事などは忘れて、このようなことを考えながら、美麗な映像に浸った2時間だった。

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