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Technically Impossible

Lets look at the weak link in your statement. Anything "Technically Impossible" basically means we haven't figured out how yet.

アーサー王と円卓の騎士、聖杯の物語、最後の戦い―サトクリフ・オリジナル

アーサー王と円卓の騎士―サトクリフ・オリジナル
アーサー王の物語というのは、それ自身に直接触れたことはなくとも、それをモチーフとして採用した作品を通じて、間接的に触れ合っていることがある。例えばゲーム・ブックの『グレイルクエスト』シリーズはアーサー王の世界を冒険する作品だし、『伝説のオウガバトル』にはアーサー王物語に登場する人物をモチーフとしたと思われるキャラクターが登場する。

アーサー王物語というと、漠然と一つのまとまった物語であるという認識を持っていたのだが、実際には様々な伝承、物語を織りあわせ、アーサー王物語としてまとめられたものである。そのため、異なるバージョンが併存している。例えばT.H.ホワイトの『永遠の王』である。
このエントリーで取り上げている3部作は、アーサー王物語のサトクリフ版ということだ。

3部作全体で一つの物語を形成しており、各所に設けられた伏線が部をまたがることもある。しかし、一つ一つを読んでいくと、各部の印象に大きく相違があり、必ずしも3部作を通読する必要はなさそうだ。

円卓の騎士

アーサー王と円卓の騎士―サトクリフ・オリジナル

アーサー王と円卓の騎士―サトクリフ・オリジナル

アーサーの出自から円卓の騎士が集い、王国の黄金時代が築かれるまでが描かれる。騎士それぞれのクエストが各章を構成しており、短編集的な内容でもある。また3部作中で明確なハッピー・エンドが判明している部でもある。

聖杯の物語

アーサー王と聖杯の物語―サトクリフ・オリジナル〈2〉 (サトクリフ・オリジナル (2))

アーサー王と聖杯の物語―サトクリフ・オリジナル〈2〉 (サトクリフ・オリジナル (2))

聖杯探求のストーリーではあるものの、その主題はランスロットとその息子ガラハッドの対比である。
聖性と人間性について、ランスロットは運命に導かれながらも人間性を捨てきれず、聖杯探求に失敗してしまう。一方、ガラハッドは聖杯探求を成功させ神に召されてしまう。
この冒険に出かけた騎士たちの多くが失われてしまう。この部は王国没落の始まりを印象付けている。

最後の戦い

アーサー王最後の戦い―サトクリフ・オリジナル〈3〉 (サトクリフ・オリジナル (3))

アーサー王最後の戦い―サトクリフ・オリジナル〈3〉 (サトクリフ・オリジナル (3))

王国の終わりの始まりから、いかに王国が崩壊していくのか、そしてその中でも失われないもの、人間性が主題として描かれる。1部とは対照的にバッド・エンドが判明している部である。

アーサー王物語の顛末だけを知りたいならば、1部と3部だけを読むのが良い。2部は聖杯探求を主題とした一つの完結した物語であり1、3部とは趣を異にしている。もちろん3部につながる円卓の騎士の没落につながる物語ではあるものの、伏線としてのつながりは弱いのだ。

余談

この本を通読することで、これまで断片的にRPGなどで触れてきた情報や思い込み、勘違いが払拭された。

エクスカリバー

岩に刺さっていた剣はエクスカリバーではない。女神からアーサーへ授けられた剣がエクスカリバーである。

ランスロット

女性にモテるランスロットの容姿は二枚目ではない。醜い容姿に女性を魅了する何かがある。

エスト(騎士の冒険)

2部の聖杯探求では、円卓の騎士たちが聖杯を求めて冒険に旅立つ。彼らは聖杯の在処を知っているものの、その場に直行しない。運命によってその場に導かれ、辿り着かなければならないことを彼らは知っているからだ。その過程における冒険(クエスト)をこなしながら、その資格、運命に導かれるものだけが聖杯に近づいていく。
ゲーム『ドラゴンクエスト』では、竜王の城は目と鼻の先にあるものの、途中の冒険、本筋とは無関係なイベントもこなしながら、目的地にたどり着く。ドラクエに限らず、RPGにはやりこみ要素として本筋とは無関係なイベントが盛り込まれているものだが、騎士の冒険の観点からすると、これらのイベントは必ずしも本筋とは無関係とは言い切れない仕組みだ。