これは2008年に投稿したエントリーで、以前のブログから引き継いだものに加筆したものです。
ライアー・ゲームという番組が面白い、という話は聞いていたものの自宅のテレビにはアンテナがつながっておらず、見ることはできずに話題だけ追いかけていたのですが、お正月の深夜にテレビ放映されていたものを、やっと実家で観ることができました。
LIAR GAME (テレビドラマ) - Wikipedia
最初にこのドラマの話を聞いた時、登場人物たちの心理的駆け引きが面白いということで、実際、公式サイトにも富田教授による心理学レッスンが掲載されているのですが、個人的には囚人のジレンマのようなゲーム理論、特に協力ゲーム的な側面から楽しめた番組でした。
何より良かったのが、プレイヤー同士がお互いを信頼し、協力することで誰も損をせずにゲームを終了することができる、というセオリーを信じて、バカ正直にそれを実行する主人公。
バカ正直である、という設定上の性格から愚直にこれを実行する主人公の姿は、見方を変えると従うべきprincipleを持ち、常にそれに即した行動をとる人物のようでもあり、なかなか馬鹿に出来ない姿勢です。
結果として、劇中での駆け引きは勝つための駆け引きではなく、全員をこのセオリーに引きずり込むための駆け引きに転化することで、一見ドロドロした状況に、クリーンかつ健全な空気を持ち込む要素になっています。
そして、この駆け引きがまさにゲーム理論の協力ゲーム、囚人のジレンマにおける全体最適、安定集合へ引きずり込むための仕掛けになっているのです。
ドラマでは、この方法を裏付ける説明が蛙男商会のヴィジュアルでプレゼンされます。ゲームの性質上、誰も「損をしない」勝者ゼロという結論を導き出す説明をするのですが、実際のところプレイヤーは全員、何らかの負債を抱えての参加となっており、なおかつその参加は不本意でありながらも、その負債ゆえに仕方なくということになっているため、表現を変えると全員が勝者とも言えるでしょう。
けれども実際の協力ゲームでは他のプレイヤーと提携することによって、自分自身だけで獲得できる点数よりも、さらに高い得点を得る可能性がある場合に全体最適は機能します。
ドラマのケースでは、
- とにかくゲームから離脱する。
- その離脱にあたって、一切のペナルティから解放される。
という前提から、各人が抱える負債の大小は気にしない状況を作り出しているわけです。けれどもストーリーの都合上、その参加に乗り気ではない、立場があやふやなプレイヤーもおり、そこが主人公、ならびにゲームの仕掛け人の信条、
人間を信頼するか否か
にかかってくるのです。同じようなことを考える人もいるようで、このエントリのために検索したときに、こんな連載記事も見つけました。
http://wiredvision.jp/blog/kojima/200706/200706191246.htmlwiredvision.jp
けれども、人間を信頼するか否か以前に、
人と協力すること
は通常よりも高得点を狙える可能性がある、場合によっては少なくとも損はしない、何かにつけ上手くいく戦略であることは確かです。
ビジネス・モデルの構築では、win-winのビジネス・モデルという、参加者全員に何らかのメリットがあるモデルを構築しようとしますが、これもそんな戦略の結果なのでしょう。
とはいえ、なぜかグループ間、部署間の連携、場合によってはチーム・メンバー間の協力関係において、同じように考える人は少ない気がします。これは単純に、
人間を信頼するか否か
ということの結果なのでしょうか。それとも、そんなwin-winモデルをチームから個人間の連携にまで落とし込むことのできない発想の貧弱さを露呈しているだけなんでしょうか。
後者の場合だと、そのような人間ばかりがチームに集まってきているということになり、なんだか悲しくなりますね。
そんなとき、リーダーやマネージャーはまさにLIAR GAMEの主人公のように、みんなを全体最適の世界に引きずり込むプレイヤーとして機能する必要があるわけです。
何かと面白いながらも、その背景や仕組みについて何かと考えさせられる、面白いドラマでした。