これは2007年に投稿したエントリーで、以前のブログから引き継いだものに加筆したものです。
『カモメのジョナサン』といえば、夏休みの課題図書の定番だ。新潮文庫の夏のラインナップにいつも並んでいた記憶がある。タイトルだけは見かけるものの、実は一度も読んだことのない一冊、その典型的作品の一つではないだろうか。中学生時代に父親の本棚から拝借しておきながら、一度も目を通したことがない。私もそのような口の一人だ。
1974年の第3刷を読んでみることにした。
この作品は、ヒッピーのバイブル的存在としてロングセラーにつながったものだ。物語のところどころにカモメの写真が散りばめられている。ヒッピー的な神秘主義要素を取り除けば、物語の主旨は次の事柄だ。
- ただ食べていくだけではない、人生に意味、目的を見出すこと。
- 研究、練習、努力を怠らず、さらなる高みを目指す。
- 他人を愛すること→優しさ
理想の高さ故に、それを理解できない者たちがいる。その者たちに追放されても、自身が見出した真実の何分の一かでも分かち合うために、やがて彼らもその理想が理解できることを信じて、彼らを救済する。自分を追放した者たちを責めるのではなく、救済することによって、彼らにも独力で真実を発見する機会を与えるのだ。
自分自身を発見することを手助けすることが、自分自身の優しさ、愛の証明である、といったところだろうか。
主人公のカモメは、日々の餌にありつくことも忘れ、飛行技術の向上に没頭する。普通のカモメにとって、飛ぶこととは食べることであり、それが彼らの人生の目的でもある。一方、主人公は、ただ飛ぶことにこそ人生の意義を見出す。
そのような意義、理想が理解されず、主人公は群れを追放されてしまう。しかし、新たな仲間とともに、さらなる高みを目指し、そこから得られた真実を伝えるために群れに舞い戻る。このようなストーリーを通じて、先のテーマが語られる。
あとがきによると、レイ・ブラッドベリはこの作品を「読む者がそれぞれに神秘的原理を読み取ることのできる偉大なロールシャッハテスト」と評したのだという。確かに、そのような要素がある。
発刊当時は、ヒッピー・ムーブメントの世相が反映され、次のような事柄が読み取られたのかもしれない。
- ただ働くだけが人生じゃない。
- 社会の現実と、自分自身の高い理想のギャップ。
- 社会を高みから臨みながら、理想とその追求を啓蒙する。
個人主義の傾向が突出した現在の読者が読み取るのは、次のような事柄かもしれない。
- 自分自身の向上。
- 理解されないお互いの理想。
- されど、折り合いながらそれぞれの理想を追求する。
私が見出したのは、かつて一世を風靡した自己啓発的なビジネス書に通じる要素、それに通じる寓話*1だ。
ストーリーから何を読み取るかは読者それぞれに異なるにせよ、その時々の世相、心理状態も反映され、読むたびに印象は変化することだろう。しかし「他人を愛すること→優しさ」だけは、時代を超え、共通原理として読み取られるのではないだろうか。