Technically Impossible

Lets look at the weak link in your statement. Anything "Technically Impossible" basically means we haven't figured out how yet.

THE BATMAN

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いわゆるスーパー・ヒーローの中でもバットマンは異色の一人だ。その正体は宇宙人や超人ではなく、生身の人間であること。そして「正義」の味方ではなく、「法」の正義*1に与する存在であることだ。

裁くのは自分自身ではなく、法律であることを、バットマンは理解している。だから敵を殺すことはせず、警察に引き渡す。バットマンのような存在と対になるのは、スーパーマンのようなヒーローではなく、パニッシャー*2のような自分自身が法であるかのように振舞う存在だ。

しかしバットマンは、警察のような公的組織ではなく、法的なバックアップがあるわけでもない。法を順守しながらも、自分自身の存在が法に即していない、というジレンマを抱えている。加えて、ジョーカーのような強敵は、生きている限り法を犯し続け、結果としてバットマンの前に立ちはだかり続ける、という二重のジレンマを抱えている。

バットマンの映画作品、ストーリーとその背景には、このジレンマが暗黙に通底しているはずなのだ。3時間強の超大作である『THE BATMAN*3には、これをどのように解釈し、表現するのかに関心があったのだが、思いがけない肩透かしだった。
この作品の主題は、法の正義と、その限界ではなく、「復讐」だったからだ。さらに付け加えると、マイルド以上の超薄味で、何も印象に残る要素がなかったのだ。

「復讐」の物語

バットマン 父親殺害の復讐
キャットウーマン 母親殺害の復讐
親友殺害の復讐
リドラー 孤児院支援頓挫の復讐
注目が失われたことへの復讐

リドラーの復讐の背景は少々複雑だ。市長選出馬に際し、ブルース・ウェインの父親は、その当落に関わらず、孤児院を支援することを公約した。しかし彼が殺害されたことによって、その支援が失われたばかりか、世間の注目は大勢の孤児たちではなく、彼の遺児であるブルース・ウェインへ注がれることになった。
この作品における一連の事件は、父親殺害当時、孤児であったリドラーの、ブルース・ウェインに対する復讐なのだ。

富豪の両親を失い、莫大な遺産を相続しながら遺児となったブルース・ウェインバットマン)は、一人自警団として夜の街を暗躍している。一方的に挑戦を仕掛けてくるリドラーによって、ブルース・ウェインは事件に巻き込まれていく。そして事件を通じて、ブルース・ウェインは父親が殺された経緯を知る。それがブルース・ウェインの「復讐」に通じている。

作中、自警活動を行う明確な理由は語られないのだが、物語終盤の独白で明かされるように、その動機には、何かに対する復讐があった様子だ。物語終盤、バットマンは自分自身の社会的影響力を自覚する。そして「復讐」の意識を広めすぎてしまったのではないか、と言う自省から、事件被害者の医療搬送に積極的に協力している。
その復讐の対象が何にせよ、父親殺害の犯人に辿り着いたのは、リドラーの仕掛ける事件がきっかけだった。作品を通じて、バットマンの「復讐」の印象が弱すぎる一方、バットマンの「復讐」は後付けであるかのようにも見えてしまうのだ。

そして本編にそれほど強い影響を示したわけではないものの、キャットウーマンも、次の復讐のために戦っている。

  • 親友殺害
  • 母親殺害

通底するのは「復讐」であり、彼らは「復讐」のために戦っている、と言うことはロジックでは分かるのだが、物語の理解に影響を与えるほどの印象を左右するかと言えば、あまりに弱すぎるのだ。

主題がこうなのだから、暗黙の主題である「法の正義と、その限界」の印象はもっと弱い。本来、孤児院向け基金に用いられるはずだった資産を流用する市長、検察、警察、全てが汚職まみれであり、そこに介入するのはバットマンではなくリドラーであり、彼の事件が制裁代わりのようなものなのだ。しかし、本来の目的はバットマンに対する挑戦であり、復讐なのだから、法に代わって正義を行使しているわけでもない。

とにかく何もかもが希薄で、強く心理的に突き刺さるものが何もない作品だった。

余談:『THE DARK KNIGHT』

私にとっての過去最高のバットマンと言えば、『THE DARK KNIGHT』だ。おそらく、法の正義と、その限界を最も強く反映した作品であると同時に、ヒース・レジャー演じるジョーカーを通じて、それを強く印象付ける作品だった。
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