Technically Impossible

Lets look at the weak link in your statement. Anything "Technically Impossible" basically means we haven't figured out how yet.

AOL (America Online)の徒然

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これは2005年に投稿したエントリーに加筆、修正の上、以前のブログから引き継いだものです。

Virtual PC上のWindows 95で遊んでいた時、AOLがインストールされているのを見つけた。Ver 3.0。日本のアカウントでも接続できるのか試したところ、sign inすることができた。冒頭の画像が、その起動画面だ。まさに古き良き時代のインタフェイスだ。

このオンライン・サービスを利用していたのは96~97年ごろだ。当時は商業インターネット接続が個人に普及し始めた黎明期だった。AOLはパソコン通信に属するものだが、AOLを通じたwebサイト閲覧を位置機能として取り込んでいた。同時に、この頃からAOLへのTCP/IP接続をサポートし始めてもいた。インターネットをサービスの一部として、あるいはインターネット・ユーザーをAOLへ取り込もうとしていたのだろう。

AOLは私の世界を拡大してくれたサービスで、色々と思い出すことがある。

AOLによって、国籍、年の差異に関係のない繋がりができた。首都圏で生活している知人たちの一部は、当時USへ留学していた人たちで、AOLを通じて知り合った。逆に、日本に働きに出てきたアメリカ人もいる。タイやデイトンで第2の人生を過ごしている老いた知人たちと知り合うきっかけもAOLだった。
初めての海外旅行は、1か月間の単身渡米だった。この間、西海岸での生活の支えになってくれたのも、知り合った人たちが世話をしてくれたからだった。

なにより就職氷河期の当時、地方のいわゆるFラン大学生が、ある外資系企業に就職できたのも、AOLのメールが利用できたからこそだった。
AOLのメールは@aol.comとインターネット対応していた。メールで直接コンタクトしてきた学生に対して、一般新卒募集とは別に、優先的に面接実施する運用をしていたのだ。内情を知る由もない私は、メールでの直接コンタクトによる偶然から、このルートに乗ることができた。
この機会を捉えたか、捉えられなかったかの分岐は、人生にかなり大きな影響を与えたと思う。このきっかけがなければ、現在の私はなかっただろう。

AOLを初めて利用したのは94年だった。当時はVer 2.0だった。webブラウザとしてmosaicが、いわゆる「インターネット」の代名詞、あるいはキラー・ソフトとして紹介され始めた頃だ。当時のインターネットはGopherからWWWに切り替わる時期で、いわゆる「パソコン通信」にしても、コンテンツは主にテキストであった。AOLが提供するGUIでのオンライン・サービスは新鮮な存在だった。
当時、AOLの会員数は数十万人。雑誌『STUDIO VOICE』に掲載された高城剛の連載記事で、AOLが日本に紹介されたのも、この頃だった。

日本Sprintの提供する国際VANを介して、日本からAOLに接続することができた。AOLは北米エリア以外をサポートしておらず、日本からの入会を受け付けていなかったのだが、次の手順で入会することができた。パソコン通信を含む当時のインターネットは、現在からは想像もできないほど牧歌的、かつ理想主義的な精神に支えられていたのだ。

1.トライアル・アカウントを見つけ、AOLに接続する。
『PC Gamer』や『COMPUTERWORLD』と言った海外IT系雑誌、あるいは海外製モデムに、販促の一部として接続ソフトが収録されたメディアが添付されていた。トライアル・アカウントとは、このメディアに印字されている仮IDのことだ。初回sign inには、このIDを用いる。
ちなみに当時のメディアはFDDだった。CD-ROMですらない。

2.入会手続き
初回sign inの後、登録画面へ移るのだが、受け付けられる入力形式は北米を前提にしている。たとえアルファベットで入力しても、日本のものは受け付けられない。とはいえ、厳密な入力チェックもされていないようだった。入力された住所、電話番号と、クレジットカード情報の照合さえ実施されていなかったのではないだろうか。
ここで名前、クレジットカード番号以外は、デタラメを入力することになる。電話番号と住所にはAOL本社のものを登録した。これでも、ひとまず入会できてしまうのだった。

3.会計担当者宛の連絡
この段階でAOLを通じてサポートにコンタクトできる。AOL内ではアドレスの代わりにキーワードを用いる。Keyword:billingから、サポートへ次のことを伝えた。もちろんコミュニケーションは英語だ。

  • 今、日本からアクセスしている。
  • 名前とクレジットカード番号は正確だが、住所と電話番号はAOL本社のものを登録した。
  • 正しい住所、電話番号を伝えるから、正式に入会させてほしい。

4.入会OK
晴れてAOLメンバー。ここで断られない、むしろ歓迎されるのだ。特にセキュリティ面では、現在では考えられない対応だろう。

AOLへのTCP/IP接続がサポートされたのは、この翌年にリリースされたVer 2.5からだった。これは国際VANを利用している立場からかすると、衝撃的だった。平たく言えば、インターネット接続さえ確保できれば、どこからでもAOLへアクセス可能になったのだ。
当時はインターネット接続も、まずはアクセス・ポイント(AP)までは電話で繋がっていた。本来であれば通信コストとしてAPまでの電話代がかかる。加えて国際VANの使用料がかかる。もしISPに加入していれば、ISPのAPまでの電話代だけで済んでしまうのだった。

AOLは拡大し、会員数は100万人だったか、200万人にまで増えた。Ver 3.0が登場し、$19.95/monthの定額制を開始する。これがさらにエポック・メイキングな出来事だった。USでは市内通話料は定額制なので、APまでの電話を繋ぎっぱなしにすることで、事実上の定額制常時接続が実現したのだった。
同時に問題も発生する。このようなことをするメンバー1名に付き、電話回線1本が独占される。つまり話し中だ。北米ではAPが繋がりにくくなり、ひと悶着あったのだ。

この頃の日本では、使い放題定額制は主流ではなく、例外的なISPを除いて従量課金制だった。私が覚えている限り、ベッコアメというISPが3万円/年で使い放題を提供していた。

その後AOLは日本進出する。サービスは開始していないものの、97年には事業を開始していた。採用について、メールで直接コンタクトしたところ、新卒採用を実施していない旨の返信だった。今にして思えば、体よく一蹴してくれて良かったのかもしれない。その後AOL JapanはNTTDoCoMoと一緒になったかと思えば、eAccessの子会社になり、日本からは消えてしまった。
USではオンライン・メディアのサブ・ブランドと化してしまった。

余談

昨今のIT起業家、開発者たちは「~の民主化」、「~の再発明」のようなメッセージで自のサービスを周知、展開していく。それは「地獄への道は善意で舗装されている」に通じるような結果を招いているように感じる。例えばApple製品だ。
1984』のメタファーで、現実の1984年が「1984」にならない、と訴えたAppleは、現在の状況を「1984」的にする片棒を担いでいるのが実際ではないだろうか。CMでは、擬人化されたAppleが体制を打ち壊すのだが、そこで打ち壊されている体制を構築する側なのが現実だ。CM中で行進し、映像を眺める聴衆が、典型的なAppleユーザー、いわゆる信者のように見える。
同社が訴えた「Think Different」のメッセージも言葉限りのものにしか思えない。いわゆる信者は、同じようなことを考えている、あるいは思考停止にしか見えない。

Apple 1984 Super Bowl Commercial Introducing Macintosh Computer (HD)

AOLの創業者、スティーブ・ケイスは、自分の母親でも使えるパソコン通信サービスを指向して、AOLを始めたのだという。時代が違うとはいえ、このような身近な人を助けることがきっかけで生まれたサービスの方が、その事業成長も、それがユーザーに与える影響も健全なように、私には感じる。