過ごしやすい季節が始まった。
このまま生産性を維持していきたい。
「期待」の科学
別の切り口から説明されることで、これまでの入れ知恵について、理解が広がった。
相手が人間か、コンピューターかで反応が変わるのが人間だ。しかし、実際にはコンピューターであるにもかかわらず、人間と思い込んでいれば、人間として反応してしまうのだ。
囚人のジレンマでは、協力するにせよ、裏切るにせよ、相手がコンピューターと信じた途端に、脳内活動に変化が無くなる。
最後通告ゲームでは、相手が人間と信じる限り、不公平な分配を拒否するのだが、相手がコンピューターと判明すれば、不公平な分配でも受け入れる。
これは自己利益の追求に加えて、社会的な美徳を尊重するが故の行動結果なのだが、
- 信用すること
- 公平であること
- 正直であること
あくまでも人間相手を前提にしている。だからコンピューター相手では機能しない。加えて、周囲の人間が、それらをどれほど尊重しているのかも影響する。つまり、どの程度尊重するかを周囲の態度を見て決めるのだ。
なぜ台風の中、気軽にUber Eatsを呼べてしまう人がいるのか、を裏付ける一つの理由を得た気がした。そのようなことができる人は、おそらくwebサイトの裏に人間がいると想像していない、あるいは配達人を人と思っていない。
加えて、商品が持つ意味に価値を見出して消費する、意味的消費という概念がある。自分の選択が他人に知られ、評価されると知っているときは、商品本来の有用性だけでなく、自分の評価への影響も考量して消費する。
これも、なぜ人はApple製品を購入しようとするのかを裏付ける一つの理由に通じている。iPhoneの高機能、Macの高性能はどうでも良いのだ。ただそれを購入する、所有する自分自身への評価のために購入しているのだろう。