Technically Impossible

Lets look at the weak link in your statement. Anything "Technically Impossible" basically means we haven't figured out how yet.

自殺自由法

自殺自由法 (中公文庫)
これは2004年に投稿したエントリーで、以前のブログから引き継いだものに加筆したものです。

政府公認で自殺ができる世界で、人間心理の闇を探る問題作という紹介がされていますが、そんな大層な印象は感じられませんでした。どうしてそのような法律が執行されたのか、自殺センター(作中では自逝センター)ではどのような事が行われているのかには一切触れられず、登場人物達がそこへ向かうまでの経過を綴った群像劇として描かれています。

昔のSF映画「ソイレント・グリーン」では食糧難から老人を食料資源として再生する施設が登場します。一方こちらは何の理由があるわけでもなく、あったとしても、それには触れられずに大前提として満15歳以上の日本国民は自由に自殺できることを認める自殺自由法が制定された世界が提供されます。恐らく、作者の視点はそのような世界での人々の心情や行動におかれているのだと推測しますが、個人的にはその社会状況や施設のほうに興味が行ってしまいます。

どこかの哲学者が渋谷、円山町のラブホテル街を見て「自殺もセックスと同じくらいカジュアルになればよいのに」と言ったとかいう話を聞いたことがあります。どういう意図で発言したのか定かではないですが、ゲームのリセット的な存在としての自殺でないことは確かです。ゲームのプレイヤーは再挑戦のためにリセットするわけですが、再挑戦のために自殺できませんから。
作中では苦難からの解放措置、諦めに対する決定打として自殺が取り上げられている印象です。作中の世論調査でも自殺自由法の良い点、悪い点として

  • さまざまな苦しみから解放される。
  • 死ぬという選択肢があることによって、思い切ったことができる。
  • 死ぬ前に思い切り遊べる。
  • 責任を果たさない人間が増える。
  • 簡単にあきらめる人間が増える。
  • 努力しなくなる。

と言ったことが挙げられています。もし現実に法律が執行された状況を想像すると現実感があります。受験生や新卒、早期退職者、老人などに用いられそうな印象です。
同時に、これは自分自身の彼らに対する認識でもあるわけで、改めるべきステレオタイプな見方を認識することができました。

問題作と構えて読むのではなく、娯楽小説として軽く読み飛ばすのが正しい読み方でしょう。間違っても生と死の問題に思いを至らせるなことはないと思いますが、もしそうなってしまったら読み方が間違っているのかもしれません。とはいえ、読み方は人それぞれなんですが。

ちなみに、脱稿後二日間、筆者の戸梶氏は欝に陥ったそうです。躁期に執筆し、鬱期に休む北杜夫のエピソードを思い出しました。

自殺自由法 (中公文庫)

自殺自由法 (中公文庫)